子育てと自分育て

2017年10月 4日 (水)

天命

60歳の方の供養をさせて頂きました。

私は間もなく50歳です。そう考えますと後十年の命かなと思います。いや十年無いかもしれません。

これを暗く、マイナスに思う方も多いと思いますが、「プラス」と思える生き方が正解だと思います。

何年後かはわかりませんが間違いなくその日が来るのは100%です。それはどうしようもないことです。どんなに楽しくすごしても、たくさんのお金があってもみんな寿命があるという意味では命は平等です。

私は逆に、お金がたくさんある方の方が不幸とさえ思えます。大体のことはお金で解決できる世の中ですが、命はどうしようもありません。

普段から思い通りにいかないというほうが、命の限界を受け入れやすい土壌があると思います。

自分に選択肢のない人生に悩むことはもったいないです。つまり他人と比べるということは悩むだけもったいないことです。他人は他人の人生があり、自分の人生にはならないのです。

今ある幸せに気が付きましょう。

私は平凡な人生ですが、今、頂いた炭で頂いた秋刀魚を焼くがために火をおこしています。なかなか炭に火が回らないのでその合間を見ながらブログを書いています。

今日は炭で焼いた秋刀魚が夕ご飯です。無事に終わりそうな今日一日それが幸せだと思います。

幸せは、皆さんの周りにたくさん転がっていますよ。それを見つけられるかはあなた次第です。

私と共に真の幸せの人生を歩みましょう。

葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓のある川崎市の秋月院へお参りください。 http://www.syuugetuin.com/

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2017年2月 3日 (金)

節分会

各地の神社仏閣で有名人による節分会が執り行われたニュースが流れています。

秋月院では例年のごとく家族で、お経をあげた後子供たちが豆まきをしました。

いつまでやれるのかなと毎年思うのですが、今年は家族で行えたことにただ感謝です。

来年は来年の風が吹きます。

因みに今年は明日は土曜日の為ご法事があるため福は内は少なめと少し寂しい節分でした。

皆さんのお宅はどうでしたか?

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2016年12月12日 (月)

宗教とは

宗教とは真理を会得し、真実の幸せを手に入れるための道具です。

その道具は人によってみんな違います。それが宗派の違いです。

例えば大工さんに鍬を持っていても使えませんし、また農家の方に金槌とのこぎりでは農作業はできません。大工さんには金槌とのこぎりが必要です。農家の方は鍬が必要です。

では農家の方が「金槌とのこぎりなんて意味ない、そんなもの必要ない」と言ったらそれは無知というものです。つまり知識不足、勉強不足なのです。

もちろん道具なんていらない自力で生きるというのもありです。(現代の日本人はこんな方が多いのでは?)

しかし道具を使っている人から見たら「道具を使えばらくなのに」なるのです。

ですから布教という行動にでるのです。

それでも道具は要らないという方も多いでしょう。

そんな方でも宗教心は養ってください。それは他を思いやり愛するこということです。

ただその範囲、キャパが狭い方もいますが・・・

あなたがどんな状況にあっても真実の幸せをつかめる。あなたに適した道具に出会えることを秋月院で祈っています。

楽に生きるためのヒント

私たちの人生での悩みは何かというと、どうにもならないことを、どうにかしよう、でもどうにもならないと勝手に悩み苦しんでいます。

そこで「しょうがない」と声に出し諦めてみてください。

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2016年11月20日 (日)

横浜のいじめ

福島から横浜へ自主避難している子供がいじめられた事件の報道がありました。

「生きていて本当によかった」と思いました。

テレビのニュースを見た時、新聞を読んだとき、思い出したとき、目頭が熱くなり、鼻がジンジンとなり、泣けてきます。「本当に生きていてよかった」

いじめられた経験のある方はきっとおなじ気持ちだと思います。

人生何があっても「生き抜いてください」

いじめのない世の中にしたいと強く思います。

しかし、それと同時にいじめのある今現代を生きていかなくてはなりません。

そのためには家庭で、言葉のいじめには耐えることができる子供に育てなくてはなりません。

例えば「バカ」「ちび」「汚い」「貧乏」等の言葉を言われたら傷つきますが、その言葉に傷つかない子供に育てることです。

私の次男は小さいです。その彼に「おじいちゃんも小さいよね、だけど88歳になっても元気にチェンソーで木こりをしたり、若い人と同じようなことができるてすごいことだよね」

「貧乏」については、昔のように三食頂けないほどの貧乏な方は少ないと思います。事実無根です。その言葉に負けない強さを養うことです。
そのためには家庭でそのような話題を常に、事件等の報道の折に触れて話す場を持つことが大切です。

また、諸刃の剣になり賛否両論あると思いますが、家庭で「バカ」「ちび」「汚い」「デブ」「ブス」等の言葉になれさす。

例えばお風呂に入らない子供に「お風呂に入らないなんて汚いなー不潔ー」等それらの言葉を使うことです。ただし子供が愛されている、愛情を感じることができる。それが大前提です。
ある程度傷つくと思いますが、家庭でなれることで、外で言われても気にならない等、強くなれます。昔は親に言われていた言葉だとおもいます。

ネズミの実験で、無菌状態で育てたネズミと、普通のネズミの寿命を比べたら無菌状態のネズミが長生きしたそうです。しかしその無菌状態のネズミを普通の環境に入れたら寿命が普通のネズミより寿命が短くなったそうです。

ネズミと比べてもよくないかもしれませんが、現代の私たちも、まさにその無菌状態になっていませんか?

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2016年9月20日 (火)

夫婦円満

夫婦仲がうまくいっていない奥様に、「ご主人をほめてあげてください」とお話したことがあります。ところが「ほめるところが見当たらない」という回答でした。そのご主人は難もありますが、ほめることがゼロの人ではありませんでした。ご主人も「ほめてくれればもっと頑張れるのに」と言っておりました。

昔のご夫婦は、給料日に奥様に給料袋を渡しながら「お父さんごくろうさまでした」的儀式があり、子供たちにも「お父さんが一番偉い」的な教育をしてきました。例えば「お父さんのおかげ」教育、一番風呂はお父さん、お父さんが席に着かないと食事をとることができない等

さて本当にその当時の奥様は心から夫を立てていたでしょうか?言い方は悪いですが、奥様の手の内で操っていたのではと思います。男は単純ですからほめられ、たてられたら頑張れる動物だと思います。それをわかっていたのかもしれません。もちろんすべてのご夫婦がそうだというつもりはありません。

しかしご主人に対してのアドバイスは、逆で、進んで家のことを行うことの大切さ、例えば皿洗い、トイレ掃除等、そしてそれに対してほめてもらうことを期待してはなりません。なぜなら奥様がご飯を作ってくれた時、ごみ捨てに行ったとき、掃除、洗濯してくれた時にそのたびに「ありがとう」といいますか?

「ありがとう」言われたいから頑張るでは、ほめてもらいたくて勉強を頑張る子供と同じだということに気が付かなければなりません。大人にならなくてはなりません。

夫婦において「ありがとう」の言葉や思いがゼロで良いと言っているわけではありません。その言葉を期待して動くことに問題があるのです。

時には「ありがとう」の言葉が欲しいと思うものですが、たまに言われる、たまに言うから相手の心に響くのです。

そしてその言葉が無くても、態度、言動、行動で感じることもできます。それがわかれば「ありがとう」の言葉を期待することもなくなります。

そしてお互いにやさしい気持ちになります。

皆さんのご家庭が、円満であることを心からご祈念申し上げます。

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2016年7月14日 (木)

正しいお金の使い方

先週小学校六年生の長女が日光へ修学旅行へ出かけました。

そしてお土産を家族六人分、それぞれに買ってきました。また離れて暮らす私の両親、家内の両親にはお守りを買ってきました。

残りのお金は20円しかなく、自分の分はもちろんのこと、塾のお友達の分も買えなかったそうです。

出掛ける前に私は「家族に一つでいいよ」と言っていたのです。

「親の分はよかったのに」と言ったらが、「家族には絶対に買うの」とのことで、しょげてはいませんでした。

ありがとうと言って早速使わしてもらっています。

そんな子に育ってくれてうれしく思います。

事前の説明会では、先生から3000円のお小遣いは多いとの話が出たそうです。内訳が家族に一つ、自分に一つで2000円でと言われたそうです。そこで家内が「お土産は自分のために買うものではなく、留守を守っていてくれる家族、普段お世話になっている方のために買うものです」と言ったそうですが、どうも先生にはその認識が無かったようでした。

皆さんはどう思いますか

ちなみ私は仕事の関係で地方へ出かけた時には、お土産を割とたくさん買ってきます。
正直、必要なものではないし、欲しいものでもないと思います。しかしたくさんあるお土産で何があるかなとワクワクする気持ちはあるのではないかと思います。

そして何より購入によってその地域の方のためになると思うと、普段の暮らしは質素にしても出かけたときはぐらいはと思うのです。

先月でしたか、研修で京都の仏閣を巡った時は、各お寺、ところどころにある賽銭箱でお賽銭に1万円は喜捨できました。そんな自分になれたことがうれしいです。一昔前でしたら、「損、もったいない」と思っていました。

お金の使い方のメリハリは大切です。

お金自身が嫌がる使われ方は三つあります。一攫千金のギャンブルに使われること、生活を派手にする贅沢のために使われること、貯めこまれることです。
お金の流れを溜まらせないために「お金が貯まったから何か買う」のではなく先に他が喜んでくれることに使うことが、お金に困らない生活のコツです。
一見無駄に思うこと、もったいないと思うこと、損と思うことを実践することが実は、幸せな日々のポイントなのです。他のためにお金を出すことで、お金の流れが格段に良くなります。しかしお金が増えても、お金の嫌がる使い方をしないことが大切です。

托鉢といってお坊さんが黒い器を持って立っているのを見かけます。お金を恵んでもらっているのではなく、皆さんのお金の流れをよくするためにお金をもらってあげているのです。ですからありがとうは言いません。逆に出したほうがありがとうというのが正しいのです。
それを喜捨(きしゃ)というのです。喜んで捨てる。お布施も同じです。
現代社会では損と考え、節約したいと考えるところかもしれませんが、実は幸せの近道なのです。

私はお盆には棚経と言ってお檀家様の御宅を読経しに回ります。お布施は千円のお宅もあれば、3万円のお宅もあります。短いお経だから千円という方もあるでしょう。しかし電化製品の出張修理を頼めば1万円以上かかることがざらの現代です。しかしこれは私の修行なのです。千円でも3万円でも私の収入は変わりませんので僧侶としての私が一喜一憂する必要はないのです。
しかし同時に経営者としての立場もありまして・・・

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2016年1月31日 (日)

子供を黙って見守る勇気

不登校から始まり、引きこもり、ニートの人が増えるのではないかと心配です。

そういう方が増えれば、国の力はいろいろな場面で弱くなってしまいます。

昔は「若いころの苦労は買ってでもしろ」「かわいい子には旅をさせよ」「獅子の子落とし」等のことわざがありますが、現代の日本で「子供に苦労をさせたくない」となっています。

子供に苦労をさせないことにより、子供は自分の人生を自分で考え行動を起こし切り開くことができなくなっています。

昔は経済的にも過保護に子供を育てることができなかったので、自然と子供は苦労し、自分の生きる道を模索することができたのです。

しかし今日は、経済的に恵まれ余暇を楽しむ余裕ができたが故に子育てが変わってしまいました。

現代では親がどれだけ子供のすることを黙って見守ることができるかに子供の自立がかかっています。

大学生の長男は小学校1年生の時に一人で新幹線に乗り私の実家へ行っていました。
本人が1人でも行きたいと言ったからです。皆さんならどうしますか?
ちなみに無理にやらせることはよくありません。ほかの子供たちの中には一年生の時にそう言った子はいませんでしたので、小学校高学年になってからです。子供によって違うのです。

小5の娘は夕方塾へ自転車で行きます。帰りは真っ暗です。皆さんならどうしますか?

私たち親は、どうしたら子供たちが、自立できるかを考えて子育てをしなくてはなりません。
どうしたら子供が親を頼らずに自分でやるようになるかを考え子育てをしなくてはなりません。

いい意味でほっておく、かまいすぎない、与えすぎない、ではないでしょうか。
どれだけ親が我慢、辛抱できるかにかかっているのです。

1人で新幹線乗るのも、一人で自転車で塾行かせるのも心配ですよ。だけど一生守ってあげることはできませんし、仮にできても果たしてそれでいいのでしょうか?

子供には「気を付けて」と声をかけ「世の中には外国へ連れて行かれてしまうこともある」等と危険があることを、ことあるたびに話ています。
子供に危機管理意識を持たせることも大切です。

周りに注意を払うことができずに熱中してしまうような歩きスマホをする人は危機管理意識大丈夫ですか?
悪ふざけを写真に撮りツイッター等に投降する人も危機管理意識大丈夫ですか?
車が止まってくれるだろうと、思っているのか、立ち止まろうとしない人も危機管理意識大丈夫ですか?

子供の手をつないで横断歩道がないところを横切る親子危機管理意識大丈夫ですか?子供はルールを守らない大人になります。また親の言うことを聞かない子になる可能性大です。

それらが命に関わるような大事故につながらなければいいのですが、心配です。

赤ちゃんに、煙草を吸わせたり、食べ物を与えなかったり等はおじいちゃん、おばあちゃんの20数年間の子育てに問題があったと思います。子供が大人になっていないのです。
一言でいえば幼稚なままなのです。

さて偉そうに言っている私の子供がこれからどうなるかわかりませんので、間違った人生になっていたらごめんなさい。しかし今現在においては、この子育てで良かったと思っています。

皆さんのお子さんが健やかに成長でき立派な大人になっていくことを祈っています。

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2015年12月 4日 (金)

人生ゲーム

人生ゲームをやったことのない人はいないと思います。

就職、結婚 昇進、子供を授かる、家を買う、株で儲ける、火事になる、株で損をする、会社を首になる等いろいろなことがあります。

幸運、不運、勝っても、負けても楽しいですよね。

私たちの人生は本物の人生ゲームと考えると、楽しくなります。
私は何歳まで生きるだろう?
健康を考えても死ぬときは死ぬわけですから、食生活、運動等無理をしない。
食事の栄養を考えたり、運動をしたりというテレビ番組に流されない。自分が楽しくできる事だけまねる。ただし長生きしたいからではなく、楽しいから行うということを忘れない。
今は家族も元気で平和だけど次は何が起こるかな?
事件や事故のニュースを見るたびに次は自分かも?その時はどうするのがいいのかな?
等考えています。

そう思うことで、辛いことがあってもゲームですから、気持ちが楽になります。

試練も順調!次のさいころを振るための通過地点のスッテップにしかすぎません。

実際に私たちは何回も人生を経験しています。それを輪廻転生(りんねてんしょう)と言います。死はゴールなのです。お別れで悲しいけど、お疲れさんと送り出してあげなくてはなりません。もう生きるための悩みから解放されるのです。お金、住むところ、人間関係等から解放されるのです。生き方にもよりますが、本当の幸せはそこにあるのです。

ただし投げ出したくなるほど辛い時は、じっと我慢の時です。損得抜きにして他の為に、他が喜ぶことを実行してください。くじけず実行することで、またサイコロを振るときが来ます。人生を投げ出してはいけません。また自堕落になってはいけません。そうすると次の人生(来世)がスタートしても同じ災難のところのマスに止まります。で、同じことで悩み苦しむことになります。今の悩み、苦しみは今回の人生ゲームで解決し、私とともにみんなで無事にゴールしましょう。私はそのゴールが待ち遠しいです。

この世を生きている人は同じ学校で学ぶ友達です。生きるとは辛いことが前提ですからみんなで助け合いましょう。

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2015年11月18日 (水)

子供の育て方と不登校

私のところは現在大学生から小学生までいますが、おかげさまで不登校どころか、「学校へ行きたくない」すら言いません。
今現在はありがたいことですが、それでもいつかは不登校になる日が来るかもという覚悟を常に持っています。

私自身は子供のころ、学校へ行きたくないと思っていました。勉強はできない、体育も得意ではない、給食も嫌い、いじめ、暴力等友達との関係、あげればきりがありません。
しかし不登校という選択肢はありませんでした。その理由は厳しい父でしたので、学校へ行かないとなったらただ事では済まないことを理解していました。

子育て中の若いご両親へ

幼稚園等小さいころの子育てが大切です。

町で若い両親を見ていると、子供になめられている方がいます。
例えば親を蹴る、殴る、暴言を吐く、という行為を無視したり、「やめて~」という方です。
子供のその行動とはめんどくさくても、厳しく戦わなくてはなりません。
そしてその嫌な空気を何時間も続けてはいけません。その場で厳しく叱りその後は普段通りに接することです。

親が言ったことは実行すること。
例えば、散らかしぱなしのカード類や、おもちゃを何回言っても片づけず、違う興味のところへいってしまうお子さんに対して「片づけなさい!今度片づけてなかったら捨てるからね」約束を守らなかったらそれを実行しなくてはなりません。親の本気度を見せることが大切です。
私のところでは、子供のポケモンカード等をゴミ箱に捨てました。私の内心はせっかく買ったのにもったいないという思いでした。その後汁物のごみと混ざったりもしていました。捨てられたことに気が付いた子供は隠れてそれを拾うのですが、それは見て見ぬふりをしました。

厳しくすることによって、やってよいこと、いけないことを、つまり善悪を学んでいくのです。
そうすれば、幼児に煙草を吸わせたり、いたずら心で犯罪を犯したり、またそれらを投稿する大人になることを防げます。

食事を与えない、毎日あざが出来る、家から追い出す、家に入れない、「生まれなければよかった」「嫌い」等人格否定はぜったにしてはなりません。

高校等の進路は本人が決めることが大切です。親の行って欲しい学校をおしつけてはだめです。
例えば「少しでも偏差値の高い学校」「知名度のある学校」等を押し付けがちです。がそれは心にとどめるべきです。どんな学校に行っても辛いこと、嫌なことがあります。親の希望した学校ですと、親のせいにして自分で考えることを放棄し不登校になります。自分で選び決めた学校であれば、自分で考え自分の人生を切り開く力を育てます。
ただ通う距離は時間は大事ですので、生きたい学校に朝登校時間に行ってみることです。通うのに疲れて不登校になる例があります。

中学生、高校生になってきたら、大人として扱い、がみがみ厳しくしないことが大切です。ところが逆に子供が幼いころはやさしく接し、甘やかし、思春期になって小言を言う家庭が多いように思います。だから親をうっとうしく思うのです。

我が家の子供は中高生の親をうっとうしがる年頃にも関わらず、うっとうしくないそうです。

しかしいつか不登校になるかもと思っています。

皆様のお子様が健やかに成長されることをご祈念いたします。

秋月院には子育て地蔵様が祀られています。どうぞお参りください。

次回は不登校になりかけたご家庭にヒントを与えられたらと思っています。

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2015年4月10日 (金)

修行

昨日、弟子から電話がありました。要件が済、「変わりないか」と聞いたところ「監獄にいるようだ。」と言っておりました。経験した者にはその気持ちが良くわかります。今年はまだ逃げ出したものはいないようである。

また彼は大学一年生で、学業、修行を同時にこなしていかなくてはならない。周りを見れば花の大学生生活を謳歌している学生を横目に見ながら、正直大変だと思います。

私の経験から言えば、その時は辛いことだらけであり、他の学生をみれば、うらやましく、自分がみじめに感じたものです。

しかし、今の年になってみれば「人と違った人生もあっていいものだ」「あの時の自分はよくやったな」と思えるようになりました。

彼にもそう思える人生を歩んでもらいたいものです。

今は彼が健康を害することなく、無事に困難を乗り越えることができることを念じるのみです。

自由をはき違え、自己主張をし自分勝手になった現代を考えると、若い世代の方が、若いうちに自由のない縦社会の経験が必要とも思います。

葬儀、法事、供養、墓地、永代供養墓、水子供養、お墓の相談は川崎市の秋月院へ http://www.syuugetuin.com/

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