先月21日に家内の父が亡くなりました。数えで77歳でした。
ご存知の方もあるともいますが、家内は私たちが見えないもの、聞こえない音を聞くことが出来ます。その視点でお話しします。
お見舞いに行きましたら、「今晩が峠です」と突然言われ、驚きながらも叔父や叔母に連絡し、寮に入っている次男(父の孫)に連絡すると「すぐに行く」と言い新幹線に乗ってきてくれるわけですが、子供が「行く」と言った時に父が「これから迎えに行く」と言って体から抜けていくのが見えたそうです。思えば子供が小さい頃、電車に乗って秋月院までよく迎えに来てくれていました。今でもその時の思いで、いてくれることはとてもありがたいです。
長男は本山に行っていましたので駆けつけることが出来ませんでした。彼が来ていないことを父は分かっていました。「飛天はこないのか」言いました。
病室には2年前に亡くなった父の弟や親がお迎えに来てくれました。
「家に帰りたい」と言っていた父ですので、亡くなった時は、家の畳のうえでゴロゴロしていたそうです。
葬儀が終わり帰る時には、生前と同じように母の横で見送ってくれていました。
後日、家内が実家へ行くのですが、父は家にはいなく、友達と遊びに出かけているようだったそうです。
その実家からの帰りのことです。電車に乗る前に喉が渇いたので、飲み物を買おうと思ったら「この電車に乗った方が良い」という声が聞こえてきて「父だ」と気が付き「えー飲み物欲しいのに」と思いながら電車にどこ行きかもわからず乗ったそうです。乗りましたら、「火事の影響で新宿から小田急線が止まっている」とのアナウンスがあり、どうやって帰ったらよいかを思案していましたら、その乗った電車は渋谷を通ることがわかり、田園都市線で乗り換え一回の乗り換えで帰ってくることが出来ました。ということは父は火事で小田急線が動いていないこと、その電車なら乗り換え一回で済むことがわかっていたのかなと思いました。
そうやって、亡き方は私たちを見守り応援しているのです。だからこそ残された私たちは供養の思いと、形、行動を大切にしていきたいものです。
因みに私たちも教えてもらっていることがあります。それが第六感です。私たちの潜在意識でその声をキャッチしているのです。ですから何かの時に「あ!」思う時はそういう時です。
最後に一言、もうじきお彼岸です。愛する人が亡くなる時は悲しいです。寂しいです。しかし時が立つと、忘れて行ってしまいます。供養に対して「もういいか」と思いがちです。人は忘れる動物ですが、自分を優先し供養をおろそかになる時には是非、亡くなった時に自分が亡き方を思い泣いたときの気持ちを思い出してください。
50回忌の法要も同じです。その方が亡くなった時を知っている方は当然ですが、知らないご先祖様であっても「この方が亡くなった時は、たくさんの方が、涙を流し悲しみ、寂しい思いをした」と思い「その悲しんだ方もこの世にはいないから私が変わって最後の供養をしてあげるの」と子孫につないでいただけると、それが子孫の幸せにつながってきます。
お彼岸は特別です。お寺の供養に参列したり、お塔婆をあげたりと普段とは違うお墓参りにしてください。
葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓のある川崎市の秋月院へお参りください。 http://www.syuugetuin.com/
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