あなたは幸せ者です。
このブログに来られた方は生まれる前に計画したシナリオ通りにこのブログに出会いました。
もう大丈夫です。
死にたいほど苦しい方もいるかもしれませんが、あなたの人生、順調そのものです。
何故ならその苦難は自分自身で計画したことですから。
今日があなたの開運の日です。
後はこのブログを読んで一歩を踏み出すことだけです。
あなたの人生は必ず、より幸せになる
ものと確信しています。
秋月院 住職
このブログに来られた方は生まれる前に計画したシナリオ通りにこのブログに出会いました。
もう大丈夫です。
死にたいほど苦しい方もいるかもしれませんが、あなたの人生、順調そのものです。
何故ならその苦難は自分自身で計画したことですから。
今日があなたの開運の日です。
後はこのブログを読んで一歩を踏み出すことだけです。
あなたの人生は必ず、より幸せになる
ものと確信しています。
秋月院 住職
彼岸中お供えした彼岸団子です。
カチカチになっていますので、これを水につけてふやかします。
そしてみたらし団子にして頂きます。
今永平寺で修行している次男が子供の頃「これおいしいよね、お寺に生まれて良かった」と言っていた頃を思い出します。
60歳以上の方が子供達はこういう素朴なものでも楽しみだったことだったと思います。
今はおいしいものを気軽に買える時代ですが、それが当たり前ではない時代を生きたご先祖様がほとんどです。そう考えると改めて気がつき今を生きている事に幸せを感じ、感謝の思いです。その思いを供養という形で恩返しをさせて頂きます。
季節季節のこういう行事を大切に思い行う事が出来るから、心のデトックスをリセットできています。
葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、自然葬、永代供養墓のある川崎市の秋月院へお参りください。 https://www.syuugetuin.com/
透析をしない選択をして「私がお父さんを殺したの」と後悔をしている方がいます。
一方で「透析をしてお父さんを長く苦しませてしまった」と悔やんでいる方がいます。
つまりどちらも正しい選択なのです。
その苦悩を抱え「人生」というものを考える、向き合うことが事がこの人生で求められているのです。それが今生の一つの目的だと思います。
しかしそうは言っても愛する方とのお別れが来るのが判るのは辛いことです。でも「行ってらっしゃい」が最後も辛いです。
私達は、これからどんな人生が待っているのか判りませんが、誰もが愛する方との分かれが来ます。送る立場か、行く立場かはわかりません。
私自身は医療が発達する前の昔と同じように人生を終えたいと願っています。
では家族ならどうなのか?死ぬまで考えることが続きます。それが生まれた事の意味です。
ただ言えることは、人は口から食べ物を食べることが出来なくなったら最後の日が来ます。それは不幸なことではなく自然な事なのです。
貴方の選択は間違っていません。安心してください。
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建長3年(1251年)正月5日、道元さま52歳の時。霊山院の私僧房で説法中、霊鐘の音を聞き、それも二百声ばかり聞こえました。しかし傾聴者達はそれが聞こえず法談相手の花山院(かざんいん)宰相(さいしょう)入道(にゅうどう)(藤原成頼(ふじわらなりより))だけが聞こえたとのことで、その様子を書きとめました。
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宝治3年(1249年)慶長元年でもあります。道元さまは50歳。元日に羅漢法要がありました。この日の正午頃に木彫りの尊者から縁起のよい耀きが発し、また東岩にある長松には十六の尊者の姿が現れました。道元さまはその霊妙な感応を書き止め、その自筆書は常州(茨城県)金龍寺にあります。
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この年の初夏から僧堂の内外に変わった香気が薫りました。日々悠々と続きます。道元さまは山居(さんきょ)(山に住む)の偈を題した作品は15篇ほどあります。二つ紹介します.
①西来(さいらい)の祖道(そどう)、我東(われひがし)に伝える(西方インドから伝わった達磨(だるま)大師の禅法を、私は日本に伝える)月に釣り、雲に耕す、古風を慕(した)う(漁師が釣りをし、農夫が耕すにも似て、私も修行に励み、祖師方の説かれた教えを慕う)世俗の紅(こう)塵(じん)、飛んで到らず(ここには、俗塵(ぞくじん)のよりつく隙(すき)は一つもない)深山(しんざん)雪(せつ)夜(や)草庵(そうあん)の中(今、私は深山の雪の夜の小庵に座っている)
②前楼後閣(ぜんろこうかく)玲瓏(れいろう)として起つ(前の伽藍、後ろの建物がすっきりと建ち並び)峯(ほう)頂(ちょう)の浮図(ふと)の六七層(山の頂には六・七層の仏塔が建って見える)月冷かに風高し箇の時節(月が冷たく照らし秋風が吹くこの好季節)衣は伝う半夜(はんや)坐禅の僧(伝来の袈裟を、夜半まで坐禅している僧、この私は、身に伝えられたのである)
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宝治元年(1247年)道元さま48歳正月15日布薩・説戒中に五色の雲が住持の上空にたなびきました。法話に聞き入っていた僧侶はしばらくの間、この不思議な光景に心をうばわれていました。
8月には宋の蘭渓(らんけい)道(どう)隆(りゅう)禅師(鎌倉 臨済宗 建長寺開山)が来日し「奥深い自然の地に移住し、後世に仏道を伝え、権力者とは一線を画されると聞き、古く良き品性と道徳を持ち合わせ、尊敬される存在でおられます」と博多から親書を送っています。
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船で帰国の途上、観世音菩薩が現れて暴風雨をしずました。
道元さまが日本に帰られ京都建仁寺に到着されたのは、安貞2年(1228年)1月18日でありました。道元さまは29歳になっていました。2年間師事された宋の如浄禅師はこの年7月17日66歳で遷化されました。道元さまに真の仏法を伝える為に晩年の2年間があったのでした。
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宋の神様で招宝七郎大権修理菩薩(しょうほうしちろうだいけんしゅりぼさつ)は阿育王山に住み、命をかけて海を渡る人たちの、安全を守ると信じられてきました。
日本で曹洞宗をひらかれた道元さまが、宋からお帰りのとき、ずっとその船に従い無事を見守られました。
曹洞宗のお寺の本堂内陣の右側に必ず祀られています。
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いよいよ帰国されようとする前夜、碧巌録(へきがんろくという禅書)に出会い、これを一夜で書写しようとされましたが、間に合いそうもありませんでした。その時、白山権現(はくさんごんげん)が現れて筆をたすけ、夜が明ける頃についに書き終えることができました。
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