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2022年6月

2022年6月25日 (土)

何のために生きるの?人生とは

私は何のために生きるの?と疑問に思うときがある方もいると思います。それを考える時が来ている方は真理として良い人生です。

そんなときは、人生とは終着駅に向かっている電車に乗っていると考えて見て下さい。人類みんな死という終着駅に向かって今を生きています。終着駅に着くことは旅の終わりですから、寂しいですが、不幸なことではありません。そして人生で起こる様々なことは窓から見る車窓です。必ず過ぎ去っていきますからそれに心をとらわれないこと、辛いことも、嬉しいことも、欲望もです。

私たち生ある者は子孫を残すことが一つの使命です。もちろん全ての方にと言うつもりはありません。一般論としてです。しかしそれが行われていたから今があるのは事実です。異性が出会い、この世に子供を産みだし、育てる事は人生の若い一時しかありません。先ほどの人生を電車の乗車に例えるなら電車で途中の駅で停車している限られた間にキヨスクで買い物をするみたいな

どんな比喩を用いようとも100%の方には通じないのも事実ですが、比喩は思い詰めないため、有頂天にならないための方法論です。そんなもの意味が無いという方には必要の無い時、またはその比喩と馬が合わないだけです。つっかからずに聞き流すことです。

ご先祖様の供養を通して気がつける事も沢山あります。どうぞ惜しみなく命をつないで下さった、ご先祖様の供養を行って下さい。お金はかかりますが、恩返しです。そこに供養の意味があります。

皆さんの幸せを願っています。

葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、自然葬、永代供養墓のある川崎市の秋月院へお参りください。 https://www.syuugetuin.com/

 

 

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2022年6月19日 (日)

立派な葬儀の意味

葬儀にお金を掛けることを嫌がる時代になりました。

しかし亡くなった方に成仏して頂くためには立派(普通)な葬儀は大切です。

会社経営を経営している若い方が亡くなり、葬儀を行いましたら、亡くなられた方のご先祖様が「こんなに立派な葬儀をしてもらったんだから、もう行こうよ。置かれた状況判ったよね」と諭されていたそうです。

この世にさまよえば生きているときの、苦しみ、悩み、さみしさが続き、尚且つ生きている人にとってはやっかいな問題を発生させる原因に繋がります。成仏して頂くことはとても大切なことです。

現代人は、人の死は人生の卒業で、死んでもその後があることを学ぶことをまずは始めなくてはなりません。

皆さんがその事に気がつける日が来ることを秋月院は祈っています。

葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、自然葬、永代供養墓のある川崎市の秋月院へお参りください。 https://www.syuugetuin.com/

 

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2022年6月 6日 (月)

延命治療可否決断に苦しむ

お医者さんに延命治療を言われたときにどうするか悩む方も多いと思います。

私なら、元気に回復する見込みが無い場合は延命治療をしない選択をしますが、あなたに経済的に余裕のあるのであれば、延命治療されるのも良いと考えます。

また経済的に余裕の無い方は延命治療をしない選択肢を選び、その分供養にお金を掛けてあげることです。それで亡き方に思いは通じます。

結論から言いますと、延命治療をしても、しなくても後悔します。

3例ご紹介します。

1例目は延命治療をしなかった方です。
お医者さんに延命治療を検討して下さいと言われ、経済的な不安から家族で延命治療をしない選択肢をした方がいます。それをお医者さんに伝えた奥様が、ご主人の死後「私が殺した」と苦しんでいました。

2例目は延命治療をした方です。
状態が変わるたびにお医者さんに言われ、そのたびに悩むのが苦しく、お医者さんに言われたら全て「お願いします」と言いました。
10年ほど延命できましたが、意識不明のままでした。死後「私の勝手でお父さんに苦しい思いを長くさせてしまった」と苦しんでいました。

延命治療しても、しなくても一時は後悔します。しかし今では、お二人とも元気になっています。その共通点は、供養には惜しみなく精一杯していることです。それは他人がそう感じるほどにならないと駄目です。自分で「精一杯供養している」という自己満足では駄目です。

3例目も延命治療した方ですが、事情に少し違いがあります
子供がいなく甥が面倒をみていました。生前に贈与を受けていました。意識不明の状態の寝たきりでしたがそのお金で延命治療を続けました。
その甥は毎日片道40分かけてお見舞いに行っていました。叔母のお金だから叔母の為に使うという選択肢をしました。何かをするまた、できるわけではありませんが、毎日お見舞いに行き、意識も無く寝ている叔母の病室に通いましたから、後悔は無いようでした。もちろんその後の供養もしっかりなさっていました。

口から食べられなくなり、死に至るというのは自然な事なのです。裏を返せば、食べられなくなると言うことは鬼籍に入いる準備をしていると言うことです。

皆さんの幸せを祈っています。

葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、自然葬、永代供養墓のある川崎市の秋月院へお参りください。 https://www.syuugetuin.com/

 

 

 

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