何のために生きているのか?苦しむとき
私が若いころ寝たきりの方のお宅にお盆のお経に伺ったとき「私は何のためにいきているのか?みんなに世話にならないと何もできない。負担ばかりかけている。」と言われました。
ずいぶん昔のことですから、なんと応えたか覚えはありません。
私たちの人生はその事に気が付き学ぶために今を生きているとのだと思っています。ですから人生は修行なのです。苦しいことが起これば人生に疑問を持つきっかけになります。ただ恐いことにそれを他のせいにして恨みに変えてしまう方も多いのも事実です。苦しいことが起る理由のひとつに人生は何かを考えるきっかけとして辛いことが起こっているだけなのです。また学ぶべき時が来ただけなのです。
辛いことが起った時は「いよいよ学ぶべき時が来たんだ」と思い正しい生き方が出来れば、解決する日が近いです。また一日の終わり、何の変哲も無い平凡な一日が終わったときは、「今日はその日ではなかった」と感謝しすることです。(本当は学ぶべき時が来たことを喜ぶべきですが、なかなか出来ないのが私たちです)
誰の世話にもならない。迷惑もかけない」と思っている方も多いと思います。しかし考えてみて下さい。私たちは自分の死後、自分の死亡届を出すことすらできません。日々の暮らしにおいても大工さんがいなければ住む家もありません。そう考えればきりがありませんが、つまりはきりがないほど、たくさんの方の世話になり、知らないところで迷惑をかけるのがこの人生なのです。そのことに気が付く事が人生の一つの目的です。
葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓,自然葬墓がある川崎市の秋月院へお参りください。
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