イチケイのカラスと葬儀
イチケイのカラスというドラマが放送されています。
裁判官が主人公のドラマですが、検察からあがった証拠で罪を裁くだけでなく、一人ひとりの被告の人生を考えてくれる裁判官が主役です。そんなことしたら裁判が滞るという意見もあると思います。しかしそんな裁判官が増えてくれること、また国がそのような裁判官を認め増やすことに力を入れてくれることを強く望みます。裁判官にとってはたくさんある裁判の1つですが、被告にとっては人生を左右される裁判です。そうなればえん罪がなくなるのにと思います。
寺院にも同じ事が言えます。たくさんある葬儀(ちなみに秋月院は小規模寺院ですのでたくさんはありませんけど)喪主家においては、また故人にとっては一度しかない葬儀です。
私は檀信徒の訃報の連絡を受けたときは、枕経に伺います。それを面倒くさいとは思いません(正直に言いますと、若いころは面倒くさいと思っていました)故人に感謝の思で弔いたい、少しでもご家族に寄り添いたい、そんな思いです。しかしそんな私の思いは伝わっていないと思います。お布施は頂けませんから。本当はお布施を頂かなくては本当の供養にはなりませんが、ご家族が私に布施をしたいと思う気持ちにさせていない、私の努力が足りないのが原因だと思っています。「お布施は読経の対価ではない」と心に言い聞かせています。(寺院の経営存続にはお金が必要ですが、正直その思いとも戦っています。)
ご主人の月命日には必ずお参りに来ていた、大切な檀信徒のおばあちゃんが亡くなりました。秋月院本堂でご葬儀を行ったのですが、家内曰く(私たちに見えないもの、聞こえないもの等をイレギュラーで感じる人です。)
故人が、泣いている子供達に「泣いてなんていないで」と励まし、悲しい葬儀ではなくどちらかというと逢いたい鬼籍の方にあえる喜び、次の世界にいける期待、つまり学校の卒業式で次の学校へ行ける喜び等、期待が大きくなっている感じと同じだったようです。
人生の終わりは、肉体の終わりでしかなく、次の世界が有ることを理解し、この世が全てではないことを理解できることにより、真の幸せ者になれます。
葬儀開式の15分前に家内が、ご詠歌をお唱えしましたら、すでに鬼籍入られている故人のお兄さん(曹洞宗寺院のご住職でした)が「無常か」と聞こえてきたそうです。皆さんも知っている歌が聞こえてきたら、思わず曲名を言いますよね。亡くなられた方も同じなのです。
私と家内で弔ったご葬儀でした。ご冥福をお祈りします。
葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓,自然葬墓がある川崎市の秋月院へお参りください。


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