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2020年10月

2020年10月29日 (木)

人生の悩み

三浦春馬さんに続き竹内結子さんが亡くなりました。お悔やみ申し上げます。
多くの方は「美貌があり、人気があり仕事もあり、お金もあるのに」と思われたと思います。私たちはこのお二人の死から学ぶことが大切です。そうすることによりお二人の人生の意味、価値が新たに生まれてきます。人生の悩みはみな平等だということです。「お金があれば」「力があれば」等、〇〇があれば幸せになれると勘違いしがちです。しかし〇〇があっても死ぬほど、死にたいほど苦しい時があるのが人生だと認識して、今ある平凡な一日一日の幸せに気が付くことが大切です。
冷静な時は、今自分が死ねば悲しむ人がいることが想像できます。また鉄道自殺をすれば他の人に迷惑をかけ家族に多額な損害賠償請求がくることがわかります。
ところが「自分ばかりがなぜ?」と思い詰めていきますとその冷静さがなくなってしまいます。そうしますと連れていかれてしまいます。誰に連れて行かれるとかといいますと、成仏できずにさまよっている霊です。その方も生前、今の自分と同じように悩み苦しんでいたのです。そして自ら死を選んでしまった(その方も連れて行かれているのですが)のですが、悩みや苦しみから解放されません。そこで仲間が欲しく、自分と同じ悩みの方がいますとその命を絶つ行動をさせてしまいます。通常は死にたいと思ってもなかなか行動は起こせないものです。また起こせないようDNAにインプットされているのです。しかし実行させられてしまいます。それに対処するには思いつめないよう悩みを人に話して軽くすることと、「死なないぞ、生き抜くぞ」という強い意志を持ち続けることが大切です。本当に死を望んでいる人はいません。「死にたい」と思っている方でも本心はいつまでも家族と過ごしたい。〇〇したいがあるはずです。
悩みを話して「なんでそんなことで悩んでいるの」と言われたことはありませんか。
それを言われて「あなたには私の気持ちわからない!」と思う方と「そうか大した悩みではないのだ」と思う方がいます。ここで考えて頂きたいことは、第三者は冷静に判断できるのだということです。ここが運命の分かれ道でアドバイスを素直に受け入れることができた方は解決方向に向かっていけます。人の話を素直に聞く心、そして感謝の気持ちがあるかを試すためにその悩みが起こっているとも言えます。
悩みは話してもらわないと伝わりません、万が一のことが起こったときには、家族や友人は悩み打ち明けてもらえなかったことに自責の念を持ちます。そして原因がわからないまま苦しみ続けます。愛する人を困らせる結果になってはなりません。
参考までに申し上げますと、自死をしても悩みは解決しません。それどころか来世で同じ事が起こりリベンジすることになります。今世の悩み苦しみは今世で解決し乗り越えることをお勧めします。自然にこの世を旅立つ日はきます。急ぐことはありません。また急いでも悩み苦しみからは解放されません。馬鹿にされることを恐れず親しい人にどんどん悩みを打ち明け冷静な判断ができるよう心をコントロールしましょう。
皆さんが悩んだときのために、お互いに気持ちよくなんでも相談できる菩提寺さんに出会えることを祈っています。
ご先祖が仏教徒の方は、どうぞお墓の見学にはお寺に出かけてください。そしてお寺に縁を持ってください。「お寺は良いよね」と言えるようになれば真の幸せに近づきます。
 
葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓,自然葬墓がある川崎市の秋月院へお参りください。 https://www.syuugetuin.com/

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2020年10月23日 (金)

お布施と料金の違い。

先日、水子供養の依頼を受けお勤めいたしましたが、お布施を頂けませんでした。

私の読経及び法話がダメだったのかと私の力不足を反省しております。

催促もしませんでしたので、うっかり忘れたのだと思います。

ただ心配なのはお布施をしないと供養が完結しないし、せっかく供養したことが無かったことになってしまうどころかマイナスになってしまいます。また「得しちゃった」と思われているようですと、特に心配です。なぜかといいますとその方に悪い影響がでてしまうことになるのです。幸いなのは何かが起こっても本人はこのお布施が原因だとは気づかないことです。

 なぜ悪い影響が出るかと申し上げますと、例えばプレゼントを頂いた時には喜びがあります。しかし後になって、そのプレゼントを買う時に「もっと安くならない」とか「もったいないから、もっと安い物ないの?」とうのやり取りがあったことを知ったらどうですか、またバーゲン品で「得しちゃった」とか、さらに盗んできた物だったらどうですか?

 「そんなの平気、物は変わらないもの」と思われる方もいると思いますが、うまく表現できませんが、その気持ちの方はヤバイですよ。

 ただ生きている人同士はそれを買う時の状況はわからないので、まだいいですが、供養のため等あの世の方のことに関してはすべて通じていますからごまかしはききませんので特に意識することが大切です。

 私には歩合もボーナスもありませんから、頂いたお布施は私個人のお金にはなりません。全て宗教法人のお金になります。ですからそのお布施が無くても私個人的には困ることはありません。ただ私の気持ちを平常心に保つだけで良いのです。それが私の修行だと思います。そしてこちらが我慢した分、その方の福がこちらにやってくる仕組みになっています。また悪いことはその逆の作用が働きます。そう考えるから腹も立ちません。しかし一言「お布施を」と言えばその方の為になったと思うと悔やまれます。

昔から「損をして徳をとれ」と言います。昔の人は分かっていたんですね。改めてご先祖様に頭が下がります。

 ただ私は皆さんの幸せを願っていますから、あらかじめ頂くように努力しなくてはと思いました。

ただお寺は商売ではないので、私にとってはこれが結構、難しい事なのです。

葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓,自然葬墓がある川崎市の秋月院へお参りください。 https://www.syuugetuin.com/

 

 

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2020年10月22日 (木)

不思議な世界の話をする理由

  私たちの寿命は決まっているという話を致しましたが、多くの方は関心がないのかと思います。私も20代の何も知識がないときに聞けば「そんなことあるわけないじゃない。変なこと言う人だな」と思ったはずです。

  死後の世界はない、寿命は決まっていないというのも一つの考えです。しかしあるというのも一つの考えです。ただ昔からの言葉ではあの世があるということが前提の言葉はたくさんあることに注意しなくてはいけません。例えば「お迎えが来る」「鬼籍に入る」「草葉の陰から見ている」等、なぜそのような言葉があるのか、その理由は実際あの世があるから、またはあの世はないけど人々の戒めの為等考えられます。何故それを考える必要があるのかは、私達は100%死を迎えるからです。みんなその日に向い一秒一秒命を減らしているのです。それは間違いのない現実です。それから目をそらす生き方をしているのが現代です。それでは後悔の日が来ます。

 死をすべての終わりという考えもありますが、万が一そのあとがあった時を考えると保険を掛けたほうが良いと思うのです。

その保険が私の話なのです。

 あの世がない、寿命も決まっていないと思っていても良いと思います。しかし他を愛し、思いやる生き方つまり布施行を行うことを忘れはなりません。それが死後の世界があった時の保険になります。その保険を掛けた生き方をしないと今がハッピーでも死を迎えた時には「しまった」と気がつきハッピーではなくなってしまいます。

 あの世がある、寿命が決まっていると決める又は信じるメリットは布施行を行う理由付けができることです。私たちは理由付けがないとなかなか行動を起こせないし長続きしません。

 まずは不思議な事を聞いたり見たりしたときには馬鹿にしたり、否定をしないことから始めて下さい。

 

葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓,自然葬墓がある川崎市の秋月院へお参りください。 https://www.syuugetuin.com/

 

 

 

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2020年10月21日 (水)

寿命を延ばす


寿命を延ばす方法に興味がある旨、ご連絡を頂きありがとうございます。

仏教でいいます。「布施行」を行うことです。布施と聞くと「法事等でお経を読んだときお坊さんに渡す。お金」と思う方が多いと思いますが、それは布施行から始まったものですが、どちらかというと料金的にとられていると思います。
私が言う布施行は「行」つまり修行なのです。それはお金もありますが、物、時間、労働等その人が持っているものを差し出すことです。それは一回すればいいものではなく、生涯続けることが必須です。
ただ難しいのは、私達は打っても響かない相手(寺院等)に対して継続することです。それでも継続出来たら本当に素晴らしいことです。
そう考えますと、してあげたいと思えるお寺、住職に出会うことが大切が必要です。なかなか難しいことかもしれませんが、死ぬまでチャンスはあります。幸い今御朱印が流行っていますから、お寺の玄関によりやすい時代になったと思います。
皆さんがそういうお寺(信仰によっては神社や教会でも良いです)に出会えることを祈っています。
ただ大切なのは、「自分はこんなにしている」と自分で評価をしてはなりません。お寺側の人が感謝を感じるようになると何かが自然に変わってきます。
 平成16年に秋月院にお墓の縁をもった方がいます。すでに鬼籍に入られとても寂しく思っていますが、その方のことをご紹介いたします。
この方には晩年大変お世話になりました。きっかけは季節の挨拶だけではなく、出かけた時のお土産、また季節の果物を本当に頻繁に持ってきてくださいました。それも「付き合いでもらったのです」とか「付き合いで買った物ですけど」「食べきれないから」等の言葉と共にでした。来られるといろいろな話をしてくれました。そんな日が続いたときに寺領の草の伸び具合、および木の枝の伸び具合をみて遠慮しながら「草刈り等をやりましょうか」的なことを言われました。その方は草刈り等をメインにした会社を経営しています。でもその方自身は一線を退いておりました。その方に日頃良くしてもらっているので、依頼しました。職人さんが来られてきれいにして頂き、また後日「現場が早く終わった職人がいるからお寺に行かせるから草刈りするところを指示してあげてくれ」と言われ、私は楽をさせて頂く日々が続きました。ところが一向に請求が来ないのです。それでも偉ぶることはなく、させてもらってありがとう的に感じました。ですから家内と「あの方はすごい」と良く話していました。
ですから私たちも新たに何かをお願いするときは「これは請求してください」とお願いしていました。しかし請求金額は仕事量で考えると本当に申し訳ない額でした。
そんな日々が数年続きました時、入院したということを知り、すぐにお見舞いに行きましたら、本人は「痛くも何ともないんだよな」と普段と変わらない様子でした。しかし帰りに奥様と話をしましたら、末期で明日退院して在宅にするとのことでした。「昨晩は自分でシャワーを浴びて床を濡らして迷惑をおかけし少しおかしいのです。」と話されました。
そして翌日の朝お寺の電話がきまして、退院した報告かなと思いましたら、亡くなったという連絡でした。退院する前に亡くなったそうです。昨晩のシャワーは自らの命をしり、自ら体を清められたのだと思いました。
 思えば数年前、運転中に体の不調で事故を起こしました。その時は車の横をこすって停車したので大事故にならずにすみましたが、場所や状況によっては大事故になり亡くなっていてもおかしくはない、その可能性はゼロではありません。そう考えるとその時が命が終わる一つの分岐点だったのでしょう。
余談ですが、私が授けたご戒名にご本人の名前はもちろんですが、田舎からでてきて互いに助け合った弟二人の名前もご本人の字の下に続けて入っていたのです。
次は特例ですが、約30年天命が延びた友人の話です。彼は50歳で亡くなったのですが、生前奥さんに「自分は長生きしないだろうな」と言っていたそうです。彼が亡くなって家内とお悔やみに行ったのですが、家内に見えてきたものがあったそうです。それはもともとの人生計画は19歳で亡くなる予定だったそうです。それが50歳まで伸びたのです。
何故50歳まで寿命が伸びたのかといいますと出家し僧侶になったからなのです。
彼は在家の長男として生まれました。田舎の生まれなので跡取りという意識がある地域です。ところが14歳でお坊さんになったのです。そこから苦労の人生が始まるのですが、生前「なんで長男なのにお坊さんになったの」と聞いたことがあるのですが、彼が言うには「父親がお坊さんのほうがいいだろ」ということで出家し寺の弟子入りをしたのです。普通で考えれば跡取りの中学生の長男をお坊さんにさせることはまずありえないことだと思います。
何故そのような行動を父親がしたのかと言いますと、潜在意識では息子の寿命を知っていて、親心として少しでも生きていてもらいたい思いをもった結果なのです。
 また亡くなる5、6年前でしょうか腰の骨を折る大怪我をしましたが、「痛い」と言いながらも車いす生活になることなく普通に暮らせるようになったのですが、実はそこで人生が終わる青写真があったのです。しかし亡くならなかった原因は彼が僧侶になり僧侶としての布施行を全うしたからなのです。つまり怪我から50歳で亡くなるまでがご褒美の人生だったのです。病気が分かる一ヶ月前には晋山結制という住職としての一大行事(因みに私は未だその儀式ができずにいます。)を修行しました。もし儀式前の準備段階で病気がわかっていたら、治療のこともありその儀式を遂行して良いのか悩み複雑な思いになったことでしょう。またその儀式があったから昔の修行仲間との交流が再開したのも事実です。彼の最後の花道だったのです。
 そんなの「あり得ない、こじつけだよ、偶然だよ」と思う方も多いと思いますが、私は生老病死からは、のがれることはできません。必ずその日が来ます。その日をただに待つのではなく、確実に来るその日を意識して日々布施行を行い、今日がその日ではなかったことに感謝しまた布施行を行うことにより、その日が一日延び、また大難が小難になることを信じられるようになったことが幸せです。
 逆に布施行を正しく行い生きていても起こってしまったことは、どうすることもできないことと受け入れることができるようになりました。

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