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2020年9月17日 (木)

天命

私たち個人、個人の寿命はあらかじめ決まっています。それは産まれる前に自分で計画した事です。生まれる前に決めたことですから、天から授かった命と表現しています。(実際は自分で決めていますが)昔の方は分かっていたのですね。ですからお位牌や、お墓に享年と彫ります。

因みに行年とは修行した年数です。年齢の数字は享年、行年どちらも同じです。ただ満年齢か数え(戦前の年齢の勘定の仕方)の違いはあります。たまに満年齢が享年で、数えが行年という方がいますがそれは違います。

この寿命は、他の人(家族も含みます)の人生との兼ね合いの中で決めます。

例えば、今回の人生は子供を早く亡くすことで、経験し学ぶ必要があると自分で判断し、子供と打ち合わせし、お互い生まれてきます。

また、今回の人生は、親を早く亡くす事で、経験し学ぶ必要があると子供が決め、親と打ち合わせをして生まれてきます。何故なら親がいると頼りにして甘えてしまうのが子供です。それでは今回の人生の目的を達成出来ないというのが理由です。

ただ何歳とドンピシャではなく5年ほど前後があります。

考えてみれば、亡くなられた方の亡くなる数年前の出来事を思い出すとその時に亡くなっていてもおかしくないような出来事だったと気がつきました。

 皆さん信じる事はできますか?この見える現実の世界が全てと思っているとなかなか信じる事が出来ないのが現実だと思います。とりあえずはそれでいいのです。

 なぜならまず大切なのは人生の道具としてこの情報を生かせれば良いのです。それが出来れば、泥沼の苦しみからぬけでることが早くなります。

 自分、また家族等の死は避けられないことです。必ずその日は来ます。その時が来たらその現実は変えられません。悲しく寂しい上に、「何でこんなことに」「○○の責任だ」「○○しなければよかった」「○○すればよかったのか?」等堂々めぐりしてしまいます。

そこで「天命がある、寿命は決まっている、決して不幸なことではない」と思う努力をすることです。

 この話を聞いてうんうんとうなずける肯定派と「あり得ない」と否定派の方がいると思います。私的にはどちらでも良いと思っています。肯定派の方はより一層探究して下さい。より一層幸せな人生になります。否定の方はまだ学ぶべき時がまだ来ていないだけです。ただ一つ覚えていると良いことは素直な心と冷静な心です。否定からは幸福は生まれません。

 例えば辛いことが起こったときに気遣って声を掛けてくれる方がいますが、その気遣い声を掛けてくれた方を攻撃する方がいます。例「私にはあなたの気持ちなんかわかんないわよ」そうすると苦しみが一層深くなってしまいます。「平常心是道」(へいじょうしんこれどう)平常心があれば素直になれます。

この平常心を保つことが人生ではなかなか難しいのですけど。

 さて寿命を5年縮めると、延ばす方法ですが、ご興味がある方がいれば、また記します。

葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓,自然葬墓がある川崎市の秋月院へお参りください。 https://www.syuugetuin.com/

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コメント

興味があります。続きを楽しみにしております。

投稿: ハッチ | 2020年9月29日 (火) 19時08分

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