Xデーに向って生きている
毎朝、病気の方の名前を読み上げ病気平癒の御祈祷を初めて1年になります。
亡くなられた方もいらっしゃいますが、元気になられた方の方が多いです。
意識不明だった方が、自分の足でお墓参りに、来れるようになりました。
お正月の行事には、「もう行けない」と言っていた方が、その時よりも顔色も良い姿で来てくれました。「元気になたんだよ」と本人も言っていました。
賽銭箱の中に病気平癒の御祈祷を希望する方の名前、市町村名が書かれた紙が入っているのですが、中には「病気を治してください」等と書かれている方もいます。私は山門興隆の為にも病気が治って欲しいと思い御祈祷を修行していますが、仏さまに「~して下さい」と命令で良いのかな?と思っています。もちろんその方は命令しているつもりはないでしょうが、文章は命令です。
皆さん命令されたらどうですか?
仏様や神様は敬うものです。すべてを委ねなければならないのです。そう考えると感謝しかないのです。
病気であと半年と言われた方も、今ピンピンしている私たちも明日の命は平等です。今この瞬間から何が起こるかはわからないのです。
私の叔父は当時大学生と、高校生の子供を残して急逝しました。前の日はゴルフを楽しんでいたのです。子供の年齢を比べると、今の私ぐらいの年だったのかなと思います。
今この瞬間がすべてなのです。大げさかもしれませんが、この瞬間があることの感謝を神様仏さまに伝えるのです。そして、欲張らず、謙虚に「もう少し生きれたら幸せです」程度を願うことです。
奇跡は起こっています。しかしそれを奇跡(ご利益)と気づかずに「運が良い」「ラッキ」で済ましている方が多いように思います。
家内は癌のステージ4を宣告されたことがあります。結果的に癌ではなかったのです。
また乳癌の時もありましたが、結果は良性でした。
私はご利益と感謝しておりますが、同時に「今度は分からない」と覚悟を持ち今があることを感謝の思いで布施行という恩返しをしながら暮らしています。
みんなXデーに向かって生きているのです。
これは決してマイナス思考ではなく、常にその覚悟をもち、今日がその日でなければ幸せを意識し、感謝することです。
そうしないとXデーを迎えた時に立ち直りに時間がかかってしまいます。「昨日までは幸せだったのに、何でこんなことが起こるの!私が何をした?〇〇が悪い○○の責任だ」と何年も足踏み状態になってしまいます。
当たり前の一日の幸せに感謝し、その感謝の気持ちを布施行という行動をしますと、Xデーを迎えた時に早い段階で「ついに来たか、これがXデーか!さてどうするか」というふに気が付けます。そう思えたら未来に一歩を歩みだしたのと同じです。
皆さんの幸せを願っています。
葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓のある川崎市の秋月院へお参りください。 http://www.syuugetuin.com/
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