平和は祈るものではなく、学ぶものです。
平和を祈ることは大切ですが、学び、行動したうえで「祈る」ということが大切です。
日本は侵略戦争をした、朝鮮の方の人権をなおざりにしたと、非難されておりますが、それは敗戦国だからいわれるのです。
世界が「昔の事だからしょうがない」というようにならなければ真の平和は訪れません。
その時代の各国は他国を侵略したり、植民地にして国土を広げていたのです。ヨーロッパの植民地にならなかったのは、リベリア、イラン、アフガニスタン、モンゴル、中国、韓国、北朝鮮、日本、タイ、サウジアラビアしかないようです。(それぞれの国の内外では戦争がありました。現代の日本は一つの国という意識ですが、戦国時代はそうではなかった。これは各国も同じことです。)
そういう時代だったのです。(それが正しい、正しくないは別の議論です。)
ですから日本だけが責められ、責任をというのは間違っているのです。それは戦勝国の理論なのです。
日本の都市を焼きつくし、たくさんの民間人が犠牲になりました。その人権はどうでしょうか?それを唱える人はいません。
そもそも戦争とはそういうものなのです。お互い様なのですが、一方の理論がまかり通るようでは、真の平和はありません。
今を生きる多くの日本人には責任はないのです。過去の事なのです。
また中国の発言も非難されることが多いですが、私たちは中国がいうこともまた理解する必要があるのです。否定からは平和は生まれません。
沖縄は現在日本ですが、もともとは琉球王国でした。首里城をみると日本の文化というより、中国系の文化を感じます。そう考えると昔の中国系の方が暮らしていた可能性もあり、「尖閣諸島は中国の領土だ」という主張も否定はできないのです。(注、わたしは尖閣諸島、沖縄が中国の領土だとは思っていません。)
日本も、中国もそれぞれ戦争を繰り返し、領土を奪いあい国を統一という名目で現代の国ができているのです。現代の国内でも昔はそれぞれに国意識があったのですから、きれいごとでは天下統一といいますが、統一された側は戦争に負け、占領されたと思っていたはずです。
ただ現代はそういう時代ではないということを理解してもらう必要があります。
それぞれの時代には現代とは違う時代背景があるのです。
環境問題でも中国の環境汚染はけしからんといいますが、先進国といわれている国も過去には同じことをして発展してきたことを忘れてはなりません。昔したことは責められなくて現代は責められるでは中国が納得できないのも理解しなくてはならないです。(注、私は環境汚染には反対です。)環境の問題は大切です。
戦争も、領土も、環境もまず責める側が、責められる側を理解する努力から平和が生まれます。
さて私たち庶民は、これを隣近所、親戚等に当てはめて生きることが大切です。
葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓のある川崎市の秋月院へお参りください。 http://www.syuugetuin.com/
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コメント
こんばんは。
本当に『責める側が、責められる側を理解する努力』って必要ですね。相手のことを無視したように、一方的に責めても何も解決しませんから‥。
国と国との関係も、ご近所さん、親戚、色んな場面で相手を理解するところから始めたいです。
投稿: いっちー | 2015年8月23日 (日) 21時05分