供養のお供え物
交通事故の現場に飲み物や食べ物をお供えしているのを見かけます。
誰にも飲まれることも、食べられることもなくいずれ捨てられます。
もったいないと思うことはありませんか?
さて亡くなられた方はどのように思っているかと申しますと、私と同じ思いなのです。
お供えしてお参りしたら、お参りした方で召し上がられることが供養です。
秋月院のお檀家の方の中にはお墓にお供えしたものを「お墓のお下がりですが召し上がってください」と玄関にお持ち下さる方もいらっしゃいます。私たちはそれをありがたく頂戴します。人様に施すということも大切です。頂いた方も亡き方の事を思うことができます。それも供養なのです。
またお墓でお供えしっぱなしで、よそ様のお墓を汚していたりすると「汚しちゃってごめんなさい。うちのが掃除に来なくてごめんなさい」と申し訳なさそうにしています。
法事の時にもたくさんの、またいろいろな物を惜しみなくお供えにお持ち下さる方の仏様は満足していますが、その逆は「それだけ?それ家にあったのじゃないの」と寂しそうです。
亡くなってからの世界を信じられない方は複雑かもしれませんが、実は生きている私たちと思うことは同じなのです。逆に言うと生きているとき以上にすべて解っています。
また冷たくして召し上がるものの場合、冷やして持ってくる方もいますが仏様は「そこまでしなくてもいいのに」と言いつつもうれしそうです。
先日のご法事では、チョコレートがお供えにあがり、「溶けちゃうよ」と仏様が気にしていることを、お施主さんに伝えましたら、「生前チョコが好きで、「溶けた後のチョコは・・・おいしくない」と、溶けることをきにしていたそうです。
どうしたら喜んでくれるかな?と考えながら、わくわく楽しんで供養してあげてください。
楽しんでが大切ですよ。
亡き方はそれを待っていますよ。
| 固定リンク | 0
| コメント (2)
| トラックバック (0)




最近のコメント