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2012年7月

2012年7月29日 (日)

供養のお供え物

交通事故の現場に飲み物や食べ物をお供えしているのを見かけます。

誰にも飲まれることも、食べられることもなくいずれ捨てられます。

もったいないと思うことはありませんか?

さて亡くなられた方はどのように思っているかと申しますと、私と同じ思いなのです。

お供えしてお参りしたら、お参りした方で召し上がられることが供養です。

秋月院のお檀家の方の中にはお墓にお供えしたものを「お墓のお下がりですが召し上がってください」と玄関にお持ち下さる方もいらっしゃいます。私たちはそれをありがたく頂戴します。人様に施すということも大切です。頂いた方も亡き方の事を思うことができます。それも供養なのです。

またお墓でお供えしっぱなしで、よそ様のお墓を汚していたりすると「汚しちゃってごめんなさい。うちのが掃除に来なくてごめんなさい」と申し訳なさそうにしています。

法事の時にもたくさんの、またいろいろな物を惜しみなくお供えにお持ち下さる方の仏様は満足していますが、その逆は「それだけ?それ家にあったのじゃないの」と寂しそうです。
亡くなってからの世界を信じられない方は複雑かもしれませんが、実は生きている私たちと思うことは同じなのです。逆に言うと生きているとき以上にすべて解っています。

また冷たくして召し上がるものの場合、冷やして持ってくる方もいますが仏様は「そこまでしなくてもいいのに」と言いつつもうれしそうです。

先日のご法事では、チョコレートがお供えにあがり、「溶けちゃうよ」と仏様が気にしていることを、お施主さんに伝えましたら、「生前チョコが好きで、「溶けた後のチョコは・・・おいしくない」と、溶けることをきにしていたそうです。

どうしたら喜んでくれるかな?と考えながら、わくわく楽しんで供養してあげてください。

楽しんでが大切ですよ。

亡き方はそれを待っていますよ。

葬儀、法事、供養、墓地とお墓の相談は川崎市の秋月院へ http://www.syuugetuin.com/

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2012年7月17日 (火)

境内掃除と仏器磨き

昨日海の日は秋月院恒例の大掃除の日でした。、檀家の皆さんに協力を頂き、一時間ほどで終了いたしました。

私が常に祈っていることは、事故がないことです。ご先祖様の供養、功徳を積むことにつながるこの奉仕作業で事故だけはないことを念じております。今年最高気温を記録したにも関わらず、おかげさまで事故無きに無事に終わりほっとしております。これも仏様のご加護と感謝しております。

70人ぐらいの方に協力いただきました。中には家族で来て下さる方、お檀家さんのお友達等。ありがたいことです。この掃除は強制するものではないにも関わらずたくさんの方に集まっていただき、頭の下がる思いです。そして半分ぐらいはこの数年前からの縁の方です。ありがたいご縁を頂き感謝の思いです。この秋月院を好きになって、集まってくれる方が苦労はあっても、結果的に「良い人生だった」と言える幸せな人生を送れることを私は祈っております。

「お寺さんにお世話になるんだから、」という思いでお手伝いに来て下さる方も多いです。供養ごとを大切に思う方は、このようにお寺や、お坊さんとの日常的な付き合いはとても大切なことです。最低限盆暮の付け届けや、挨拶はされるほうがよろしいと思います。それがご先祖様の供養と、あなたの幸せな人生の入口です。

午後の仕事を子供に手伝わすための魂胆があり、疲れていましたが、子供たちのリクエストで、昼ごはんは流しそうめんになりました。竹を切りだし、割、磨き等準備に一時間かかり、一時の昼ご飯でした。Photo


午後からは仏器みがきを(真ちゅう製のローソク縦等を磨くこと)しようと思い、テレビを見ていた小学校5年の三男に「手伝いにきな」と声をかけ、しぶしぶ来たのですが、仏器を見るなり「これ楽しんだよね」の一言、
私は正直子供のころそんなことは思ったことはただ一度もありませんので、三男は徳の高い人なんだろうなと感心しています。

秋月院に来た当時は、何十年と磨いたことがない状態で、真っ黒でしたが、今では年2回磨いていますので、きれいなものです。自分の心もきれいになることを思いながら、子供に負けないよう頑張っています。「玉みがかざれば、光を発せず」私たちの心も同じです。
Photo_4

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2012年7月14日 (土)

質素なごちそうで幸せ

子供が夕飯のおかずを見るなり「今日はごちそうだ!」でした。

「目玉焼きが二つもある」と喜んでいました。

ありがたいことに、お中元で頂いた、ハムと、たくさんの卵があり、夕飯がハムエッグになったわけです。

お中元は頂いてまず仏様にお供えをしてから、私たちの食卓に並びます。
仏様のご縁で頂いたものですし、またそうでない場合にもお供えをします。仏様は私たちの家族です。家で一番大切な仏様にまずお供えするのです。

我が家では、子供たちが好きなものが、食卓に並ぶことはそんなにありません。
その理由は頂いたものを、無駄にしないために仏様のおさがりから頂きます。ですからその時食べたいものを食べるということはほとんどありません。

頂いたものには差し出した方からの思いがあります。その思いがとてもありがたく、その思いによって私たちは日々幸せに暮らせるのです。ですから、その思いを無駄にしてはもったいない話です。せっかくの幸せを水に流してしまうがごときの事です。

自分で買ってきたものには、他人様からの「思い」というプラスアルファーがありません。実はそのプラスアルファーが私たちの幸福を左右しているのです。

お母さんの手料理にも家族を幸せにするプラスアルファーがあります。
とても大切なことです。

大変ですが、一品でも良いですから、家族のために手料理を作ってあげてください。それが、家族の幸せにつながりますよ。

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