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2011年3月 2日 (水)

命の平等

人、他の動物、植物等の生としての命は必ず終わる日が来ます。
そのような意味では皆平等なのです。

しかし生き様はそれぞれで平等ではありません。人の都合で切られる木の命、人に食べられるために誕生した命、もてあそばられ果てる小動物の命。

人にあっては、お金のある方、勉強運動等才能のある方、健康な方、長生きの方そしてそれらの反対の方があり、現実は決して平等ではありません。
私たちはその生き様に平等を求めて生きていると思いますが、それが叶う日は来るのでしょうか?雨が降れば喜ぶ人、悲しむ人がいることを例にとれば100パーセントの人が望む人生はありえなのです。そんな中でもようような活動をしていくことは大切ですが、それにより自分を苦しめてはなりません。

考え一つで平等にもなりえます。

例えば同じ学校で、同じ時間でもクラスによって授業の学科は違います。学年が違えば同じ学科でも内容が違います。隣のクラス又は違う学年の授業と比べても何も意味はありません。自分は自分の問題をクリアするしかないのです。

先日の金スマという番組で書道家の金澤翔子さんが、書道教室で「人と比べてはいけません。雑念がおこり心が乱れます。」とおっしゃっておりました。

人生という学校と考えると楽になります。ただ四六時中そう思えれば良いのですが、なかなかそうもいかないのが人生です。自分を追い詰め破裂しないように角度を変え空気を抜くが如く調整しなくてはなりません。

輪廻転生(事実存在している。)でいえば間違いなく人は平等です。生まれる前にいた世界に帰る日が来ればいずれわかるでしょう。

苦しいときも生きることです。

最後に松下幸之助氏の「道」という詩でをご紹介します。


自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない自分だけしか歩めない、
二度と歩めないかけがえのない道。
広いときもある、せまいときもある。のぼりもあればくだりもある。
坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もある。
なぐさめを求めたくなる時もある。

しかし所詮はこの道しかない。
あきらめろというのではない。

いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくこの道を休まず歩むことである。

自分だけしか歩めない大事な道。
自分だけに与えられているかけがえのないこの道。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道は少しもひらけない。
道をひらくためには、まず、歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ、遠い道のように思えても、
休まず、歩む姿からは、必ず新たな道がひらけてくる。

深い喜びも生まれてくる。

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