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2011年1月

2011年1月20日 (木)

祈り

3代前の方が神仏を大切にして過ごしてくれたお陰で今の私たちの幸せがあるということを言い伝えられています。

つまり今日の平和、物質の豊は私たちの努力だけのものではなく、過去の方の祈りが時を越え今の私たちの生活があります。

先日の阪神淡路大震災の起こった時間に、家内は強い念を感じ目がさめたそうです。「今日はなんだっけ?」と思いその時間にたくさんの方が犠牲者に対し祈りを捧げその念を感じたと気がついたそうです。

チェンソーで木を切る時、ショベルカーが土を掘ったり、山を削っている時も自然界の念を感じるそうです。
そこで作業されている方が自然をいたわり、感謝の気持ちと懺悔の気持ちがあれば良いのですが、その思いがないと悪い念、邪気を感じるそうです。

実際の研究でも癌の患者さんに祈りを捧げた時と何もしない時では結果に差がでたようです。
また種子に祈りを捧げた場合と、何もしない場合では発芽率に差が出たそうです。
そして炊いたご飯を3つ用意して一つは「ありがとう」二つ目は「ばかやろう」三つ目は無視をして保存しましたらその三つとも違う状態になりました。今の常識で考えれば炊いたお米ですから生きていないはずですが差がでるのです。

また水があるところで音楽をかけると曲によって結晶が変化するという実験もあります。

つまりこの世の物質すべて無機物ではなく心があるということです。

仏教ではこれを悉有仏性(しつうぶっしょう)と言います。

恨みを持つことなく許し、他の為(普段使っているお茶碗にも)に祈りましょう。
ここで大切なのは自分のためではダメなのです。他のためでなくてはなりません。それが結果的に自分のためにもなることに気がつかなければなりません。

また逆に恨みの念も必ず自分に返ってきます。

私は世界が平和で、すべてがニコニコと暮らせることを願っています。

葬儀、法事、供養、墓地とお墓の相談は川崎市の秋月院へ http://www.syuugetuin.com/

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2011年1月19日 (水)

狭い我が家も幸せ

秋月院の建物の中でのプライベート空間は6畳二間とキッチンです。

昭和40年代築の2Kに家族6人で暮らしています。

そこでお寺の事務仕事をしますし、子供が遊んだり、勉強したりしています。

寝るときにはそれらを片付け布団を川の字に敷き床に就きます。

ここで暮らしている子供たちは私や家内の実家に行くのが楽しみで、子供だけで何日もお世話になったりしますが、「帰りたい」とは言いません。中2から幼稚園の子供みな同じ思いです。

親戚の家にはプライベートな空間はありませんが、自宅でもないので、気にならないのでしょう。

子供がこもる部屋が無いので、子供が何をしているかが把握できる安心感。

一つの部屋にかたまっているので光熱費も一部屋分で済みます。

掃除も狭いほうが楽で早く終わります。

家族、はだを寄せ合って川の字で寝られる事の幸せ。

良いことを言えばきりがありません。

また逆に悪いことを言ってもきりがありません。

嘆いても、文句を言っても、人をうらやんでも何も変わりません。心がすさむだけです。

また無理をしてしまえば(多額の借金等)また違う悩みがでます。

今の暮らしの中で幸せを感じられる余裕を持つことによって意外と幸せは一杯あります。

皆さんが今の幸せに気づける日が来ること願っています。

それが世界平和に必ずつながってきます。

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2011年1月 1日 (土)

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

おかげさまで、新しい年を迎えることが出来ました。

皆様にとって良き一年になる事をご祈念申し上げます。

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