試練
子供たちは夏休みも終わり通常の日々に戻りました。
小学校が始まる前日に次男の夏休みの宿題である計算の問題集がなく大騒ぎをしたものの見つかりませんでした。一生懸命解いた問題ですが、見つからなければやっていないのと同じ評価を受けるわけです。それが社会の厳しさだよと言うような話をし、子供には先生に「もう一度計算の問題をやりたいので問題集を下さい」とお願いしてみたらと話しましたら、先生から新しい問題集をもらい持って帰ってきました。
その夜私が彼の机の引き出しを引き抜きましたら、例の問題集がくしゃくしゃになりながらも引き出しの下に落ちていました。
「見つかったよ」と子供に話しましたら、「それはもういらない新しいのをもらったからもう一度やる、もう一度やれば勉強になって頭が良くなるもん」との一言でした。
仕上げた問題集をなくしたという不幸?な出来事を不幸な出来事で終わらせてしまうか、それともそれをきっかけにして、さらに努力して、不幸な出来事を不幸でなくすかは、私たちのその後の行動に掛かっています。
辛い事が起こったらそれは「試練」なのです。「試練」とは「試す」と「練習の練」と書きます。練習は努力です。努力できるかを試すために、辛い事が起こるのです。
辛い出来事は不幸な出来事ではなく、その後の自分自身の選択が不幸な結果に終わらせてしまっているのです。
皆さんの試練がクリアできることをご祈念申し上げます。
| 固定リンク | 1
コメント