供養は家族単位で、先祖代々のお墓
お彼岸が今日で終わりました。
皆さんはご先祖様のご供養はできましたか?
このお彼岸の時に出来たシルバーウイークはもしかしたら、供養を望んでいるご先祖様の念によって、出来た連休なのかもしれません。連休が終わってからそんな気がしました。
私たち夫婦は仕事柄留守にできませんので、子供たちに私たち夫婦の実家のお墓参りに行ってもらいました。2班に分かれてそれぞれの実家に、中には両方の実家へ新幹線でハシゴした子もいました。ありがたいことです。子供が行くということは次の世代に供養がつながったということです。昔の方は次につなげることを使命と思い、生きてこられて今日の私たちまでつながったのです。
最近、旦那の家の墓には入らないとか、友達とお墓に入るとか、海等への散骨等個人単位の供養を考える方が多くなったようですが、供養で大事なのは永続性です。個人単位ではそれが難しいです。散骨以外のお墓がある場合で、お参りに来てくれるのは、つながっても孫までではないでしょうか?散骨はお墓参りそのものがありませんから、永続性の供養にはつながらないことでしょう。また優しい孫ほどお参りに行かなくてはと思い、個々のお墓参りに奔走することになるでしょう。
「死んだら終わり供養は必要ない」と思われる方はそれで良いと思いますが、亡くなってから何が大事だったかが、わかり後悔することでしょう。
古いと言われるかもしれませんが、家族単位で祀ることの出来る「先祖の墓」というのが私は大切だと思います。そして出来ることならば一族のお墓は同じところにあると良いでしょう。そうすれば一族の誰かがお参りしていってくれます。
ある方がお墓お参りに来られたのですが「来てくれたの!!」と大喜びしている仏様がいました。その方は「本当はおはぎなんですが、どうもお赤飯と思いお供えした」そうです。仏様は欲しいものもちゃんとリクエストしているのです。そのリクエストの念を逃さないように心を常に清らかにしていなくてはと思いました。
仏様は生きている私たちと同じで、会いに来てくれたら嬉しいのです。「千の風」の歌のように常にお墓にいるわけではないのですが、その行為は嬉しいのです。
お彼岸にお参りに行けなかった方も、これからでも良いですから、お参りに行ってあげて下さい。仏様が首を長くして待っていてくれますよ。
さて我が家ではお彼岸にお供えしたお団子を甘辛くフライパンで炒めて家族で頂きます。ちなみにカビだらけですので、カビを落としていただくのです。これが私の育ったお寺、礼雲寺の恒例の彼岸後の行事?です。ありがたく、つながさせて頂いております。
去年はそれを子供たちが食べて「こんなにおいしいものが食べられるなんで嬉しい」と言って喜んでいました。
さて今年はどうでしょう。
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