手作りお弁当
長男の弁当を家内が毎朝作っています。土日試合で6時に出掛ける時は5時に起きて頑張っています。そのお弁当を友達に「いいな」と言われ、ツママレテしまうそうです。
聞けば友達はコンビニでおにぎり、お茶を買ってきているそうです。逆にわが子は「買い弁いいな」と言いますが、「たまには買い弁したら」というと「弁当作って」と言います。友達に「いいな」と言われツママレルのも嬉しく思っているようです。
母親にしたら、弁当作り大変だと思いますが、親子の絆を深めるチャンスなのです。子供が大きくなった時、「毎朝作ってくれたな、大変だっただろう」と気がつき感謝する日が必ず来ます。そして自分がされたことを次の世代の子供に受け継がれていくのです。ただ親のエゴではだめです。野菜とらないとダメだから等、理由はつけてはいけません。それでは押し付けになり逆効果です。
食べ物はただ単に腹を満たすだけのものではありません。作ってくれる人の「気」、命の「気」が入っているのです。手料理で「愛情たっぷり入っているから」と言うようなことをよく耳にしますが、その通りです。残念ながら買った出来合いのものには作ってくれる人の「気」や「愛情」はありません。実はその「気」に人生大きく左右されていることに気がつかなければなりません。その「気」を「念」、「思い」と言ってもいいです。私たちは人の、物の、植物の、またあらゆるものの「気」に影響を知らずにうけています。
一品でもいいですから、家族のために手作りの料理をお願いします。手を抜いていいところと抜いてはいけないところが、逆になっている方が多いように思います。便利に頼りすぎると、家族の絆があぶないです。
家内は大学生になってから初めて、インスタントラーメン、ぼんカレー、スーパーの出来合い物、コーンフレークを食べたそうです。家内の母の努力には頭が下がります。
我が家では食べ物になってくれた命、栽培してくれた方、料理してくれた方、運んでくれた、かげながらでもたずさわった方に感謝の気持ちを忘れないために次の言葉を(五観の偈、ごかんのげ)必ず唱えて頂いています。私たちは毎日、他の命を頂いて生かさせていただいているのです。だから「いただきます」というのです。「あなたの命をいただきます」ということです。他の命の犠牲を忘れてはなりません。その感謝の気持ちがなく、お金を出して買っから自分が捨てるのも、残すのも自由だと思っていると、そのものの「気」が、マイナスの作用として自分に返って来てしまっている方がたくさんいます。
一つには功の多少を計り彼の来処を量る。(ひとつにはこうのたしょうをはかりかのらいしょうをはかる)
二つには己が徳行の全欠をはかって供に応ず。(ふたつにはおのれがとくぎょうのぜんけっとをはかってくにおうず)
三つには心を防ぎ過を離るることは貧等を宗とす。(みつにはしんをふせぎとがをはなるることはとんとうをしゅうとす)
四つには正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり。(よつにはまさにりょうやくをこととするはぎょうこをりょうぜんがためなり)
五つには成道の為の故に今此の食を受く。(いつつにはじょうどのためのゆえにいまこのじきをうく)
次男は給食の時も、小さな声で唱えているそうです。ありがたいことです。
みなさんも上記のものを書いて食卓の壁にそれを張り合掌して家族で唱えてください。
実践あるのみです。特に小さなお子さんのいるお宅はそれが家族円満の一つの方法です。
| 固定リンク | 1
コメント