子育てと自分育て

2011年10月22日 (土)

若い人を育てるという徳

先日のご葬儀で伺った話です。

亡きご家族が入院中、点滴の注射を新米の看護師さんがされたそうですが、なかなか血管に刺さらず、何回も「すみません」「ごめんなさい」と言いながら注射をしたのですが、それでもうまくいかず、最後に「先生を呼んできます」と言ったそうですが、それに対して、亡きご家族は「大丈夫だから、あなたがやりなさい」と励まされたそうです。

痛かったと思います。しかし、それに耐え常に他の方を思いやることができた立派な方です。

また。ご家族もその看護師さんに文句を言うことなく、見守ることができる。これもなかなかできることではありません。素晴らしいことです。

人生の最後の最後までそれが実行できる事の徳の高さを感じました。

私もそのような生き方を常に心がけなくてはと改めて感じることができるご縁を頂きありがたいことです。

故人様のご冥福と、ご家族の幸せを心よりご祈念申し上げます。

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2011年5月23日 (月)

危険な通学路も学び

子供の通学路は歩道は無く、時間帯進入禁止で、一方通行になるのですが、ルールを守らない車も多く、また近くに流行っている店もあり、細い道ですれ違いができない箇所がある道の割に交通量は多い気がします。

先日歩いてみて、大人の私でも、向こうから迫ってくる車が怖く感じました。

子供たちはこの道を毎日通って通学していますが、おかげさまで私の知りうる限りでは事故はありません。ありがたいことです。

今まで世界中で交通事故で犠牲になった方々の命を無駄にしないためにも、私たちは安全といわれるところにいても「絶対安全」ということは無いということを学ばなくてはなりません。

危険な通学路だからこそ、子供たちは危機意識を持つことを学ぶことができるのではないでしょうか?

守られ過ぎては、学べないことが多々あるのです。

私は、親としては心配なことがたくさんありますが、子の無事を「祈り」、無事に帰ってきたら目に見えないものに(神様、仏様、ご先祖様、縁のある仏様)「感謝」の繰り返しです

それが私たちの人生の学びだと思っております。

皆さんの日々の当たり前の生活の中から幸せを見つけられることを祈念しております。

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2011年5月11日 (水)

原子力発電とギリシャ神話のパンドラの箱

東日本大震災から2ヶ月がたちました。今もなおたくさんの方が厳しい生活を強いられております。いまだにかける言葉が見つかりません。ただ祈り続けるのみです。

そして福島の方々は地震、津波と放射線による被害を受け続けております。
私は申し訳ない思いでおります。関東で消費される電気を他府県で作り、その結果が今の福島です。

二度と福島の方のような目に合う方がいないことを願うばかりです。

もしどうしても関東で原子力発電による電気が必要ならば、東京湾に作るべきではないでしょうか?その覚悟がなくてはならないと思います。

日常の生活でも、道路建設(交通量が増えてうるさいくなる。危険等の理由で)、墓地、葬祭場、火葬場、ごみ焼却場、最終処分場、ごみステーション等は自分の家の近くは反対の声が多く、その気持ちは理解できますが、果たしてそれでよいのでしょうか?だれもが使う施設です。そして誰かがその嫌なものを、受け入れなくてはならないのです。自分が使うくせに自分のところは嫌だでは、自己中心的で、自分勝手ではないでしょうか?

秋月院の入口に2つの地区のごみステーションがあります。出す日のルールを守らない方いて集められることがないゴミがカラスに荒らされ、風に飛ばされ参道がゴミだらけになることもしばしばですが、心ある方がいつもきれいに掃除してくれます。その姿を見ていると、心が落ち着きます。ありがたいことです。またその方の徳の高さにも気が付くことができ、見習わなくてはと自分自身の向上につながります。ごみステーションがなければこの学びはないのです。
ちなみに私たちの家庭ごみは違うところのごみステーションですが、それもお寺の山と隣接しております。

原子力発電も同じではないでしょうか?

正直、真の環境にやさしいエネルギーを希望します。そのためにも自分のできることからと思い暮らしております。

家内は数年前からほとんど掃除機は使わずほうきで掃除しており、私も震災後は修行時代を懐かしく思い出し、ほうきで掃除しております。

ギリシャ神話のパンドラが空けた、黄金の箱により、箱の中に閉じ込めていた病気、盗み、ねたみ、憎しみ、悪だくみなどの悪が、人間の世界に飛び散ちり、最後に希望が出ていきました。もしものために、プロメテウスが、希望も忍ばせておいたおかげで人々は「希望」を持つことができるのです。

原子力発電も空けてはいけないパンドラの箱だったのではないでしょうか?

管首相の従来のエネルギー政策の見直し、給料の返納を支持します。それが、実行できることを祈念しています。

それが子孫が安心して暮らせるプロメテウスが万が一のために忍ばせてくれた「希望」ある未来につながります。

私は皆さんの幸せを願う日々です。

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2011年3月20日 (日)

貴重な体験

昨日六日ぶりに白いご飯を頂きました。

皆さんご承知の通り、震災後お店には品物がなく、我が家はお米と牛乳が尽きてしまいそうでしたので(お彼岸法要のためお米はお仏飯に取っておかなくてはならないため)実家のお寺から以前頂いた、昨年のお盆にお供えのそうめん、正月のお供えの御餅を食べて過ごしておりました。

子供たちには「65年前はもっと食べるものが無かったんだよ」「東北で被災した人たちはもっと辛い思いをしているんだよ」「お腹がふくれるだけで幸せなんだよ」と話すことが出来ました。そして資源のこと、節電のこと等たくさんの話が出来ました。

震災直後、遠くは大阪の友人から「食料は足りてる?」と心配してもらったりしました。ありがたいことです。

昨日はいつもお世話になっている近くのお寺がお米等必要なものをたくさん頂きました。

お檀家の方からも心配していただき、パンを届けてくれたりと、ありがたく感謝の思いです。

子供たちは、「お米だ」「パンだ」「牛乳だ」と大喜びです。不自由な生活をしたからこそ、そのありがたみがわかったと思います。

不自由、我慢が、物質ではうまらない、心の幸せにつながります。

今生かさせていただいていることに、感謝の日々です。

一日でも早く被災された方の安心の日が来ることを祈っております。

また亡くなられた方のご冥福をお祈りしております。

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2011年3月17日 (木)

東北関東大震災

被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

一人でも多くの方のご無事を祈り、また亡くなられた方のご冥福をお祈りいたしております。

今私に出来ることは祈ることしかありません。私は一人でも多くの方の祈りにより必ず良い結果を招くと信じております。ただその結果を今求めてはなりません。次の世代の幸せな暮らしを祈ってあげることです。自分たちの欲をかいてはなりません。

そして私たちは学ぶことが大切です。震災前の一週間前までの当たり前で当然と思っていた暮らしが、実は幸せな暮らしだったことに・・・

科学は万能ではありません。自然にはかなわない、必ず想定外のことが起こるものだと、私たち一人ひとりがその覚悟を持たなくてはなりません。人を非難しても何も始まりません。

私たち一人ひとりが、それに気づき生活することが大切ではないでしょうか?

科学が発達する前の昔の方は災難が起こると、「天の怒り」「神様が怒っている」等と思い反省し自分を戒めることができ天狗にならずにすみましたが、科学が発展した今日は自分自身を反省するという思考が起こりずらくなり、それが、欲望を増長し次世代に被害を拡大させてしまうのではと心配しております。

そうならないことを祈るばかりです。

今回の震災で秋月院の屋根瓦が落ちました。今はシートをかぶしてしのいでおります。
その日、子供は学校、私も家内も都内に出かけており、難を逃れることができました。もし家にいたら瓦が頭に当たっていたのでしょう。瓦がたくさん、また遠くへ飛んでおりました。仏様に生かされたこと、ありがたいことです。生かされたということは、まだまだ挑戦しなければならない苦労があるということでもあります。

今回は東北の方々が大きな被害を受けてくれました。今度は私たちの番の日が来るのではないでしょうか、明日は我が身といいます。その覚悟で生きなくてはなりません。

被災された方々が一日でも早く復興できることを節に願っております。

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2011年1月19日 (水)

狭い我が家も幸せ

秋月院の建物の中でのプライベート空間は6畳二間とキッチンです。

昭和40年代築の2Kに家族6人で暮らしています。

そこでお寺の事務仕事をしますし、子供が遊んだり、勉強したりしています。

寝るときにはそれらを片付け布団を川の字に敷き床に就きます。

ここで暮らしている子供たちは私や家内の実家に行くのが楽しみで、子供だけで何日もお世話になったりしますが、「帰りたい」とは言いません。中2から幼稚園の子供みな同じ思いです。

親戚の家にはプライベートな空間はありませんが、自宅でもないので、気にならないのでしょう。

子供がこもる部屋が無いので、子供が何をしているかが把握できる安心感。

一つの部屋にかたまっているので光熱費も一部屋分で済みます。

掃除も狭いほうが楽で早く終わります。

家族、はだを寄せ合って川の字で寝られる事の幸せ。

良いことを言えばきりがありません。

また逆に悪いことを言ってもきりがありません。

嘆いても、文句を言っても、人をうらやんでも何も変わりません。心がすさむだけです。

また無理をしてしまえば(多額の借金等)また違う悩みがでます。

今の暮らしの中で幸せを感じられる余裕を持つことによって意外と幸せは一杯あります。

皆さんが今の幸せに気づける日が来ること願っています。

それが世界平和に必ずつながってきます。

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2010年11月28日 (日)

ゴーストニューヨークの幻

一昨日テレビでゴーストニューヨークの幻という映画を放送していました。

私が学生の頃の映画で、当時私はまだ死後の世界というものに確信を持ていない頃でしたので、「おもしろい作り話」と思っていたのですが、その後たくさんの出会い、経験で間違いなく死後の世界が存在すると確信を持てたときにこの映画で描かれている内容が、決して作り物のファンタジーではないことに気がつきました。

私はあの映画の中の起こる出来事が現実にあるかどうかの真偽にこだわる必要は何もないと最近気がつきました。真偽にこだわれば私のように10年以上かかります。その10年間がもったいないです。

解からなければならない事であれば必ず解かる日が来ます。

大切なのは真偽ではなく、あのような出来事が自分にとって有意義かどうかで良いのです。自分にとって「こんな世界があるのか」と生きる希望になる方は信じて生きれば明るく有意義に人生を過ごせます。

人生はみな平等です。自分さえよければと良いと欲を丸出しにして悪いことをして得をして過ごしている人の最後は哀れとしか言いようがありません。

またこの資本主義に慣れすぎ自分の行動が愛のない悪いことだと気がつかない方も多いです。

あの世を(次の世界を生きるということ)否定する方は、それでよろしいかと思います。いずれ死を迎えれば解かる日がきますから、

ただそのときに自分の生き方を後悔しても遅いですから、自分には有意義ではないと思われる方はよくよく自分の生き方を見直した方が良いかもしれません。いずれ後悔しないためにです。

皆さんが失敗しつつも正しい人生を歩まれることを、そして小さな幸せ見つけられることをご祈念いたします。

今が紅葉見ごろです。どうぞお参り下さい。

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2010年11月27日 (土)

小さな幸せの勧め

今日は嬉しいことがありました。

今日は月に一度の班掃除の日です。
班掃除と言っても自由参加なのですが、お忙しい中お手伝い頂きました。

おかげさまで境内はきれいになりました。ありがたいことです。

その中にHさんがいました。
その方は昨年の夏にご主人を亡くしてから、なかなか家から出ないといういうことを、お子さんから聞いておりましたので、お顔を見たときは本当に嬉しかったです。

まだ、まだ淋しい気持ちはあると思いますが、お寺の掃除に参加しようという気持ちになったこと、本当に嬉しいです。

お子さんも一緒に参加してくれると、互いに一つの事に向き合い言葉ではない親子のコミニケーションが、はかれていいと思ったりもしますが・・・
なかなか予定が合わず難しい面もあると思いますので、無理は言えないですが、来てもらえると嬉しいです。

いつもお寺のことを思ってくれる方々の幸せを願っています。

私はいつも小さな幸せを願っています。

大きな幸せの後には大きな辛い事があるきがします。

小さな幸せなら小さな辛いことで済むと思っています。

小さな幸せとは日々暖かい布団で休めて、三食頂けること。

つまり当たり前と思っていることのなかで幸せに気付くことです。

その積み重ねが真の幸せに結びついてきます。

今日の幸せは

Hさんをはじめ皆さんに会えて幸せ、

心ある方々に掃除に協力してもらえて幸せ、

境内がきれいになって幸せ、

初めて来た方が「紅葉がきれいで、良いお寺ですね。また来ます。」と言ってもらえたのが幸せ、

まだまだたくさんあります。

皆さんも幸せになって下さい。

その気付きの日が来ることを秋月院から祈っています。

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2010年8月27日 (金)

便利と楽そして退化

私が子供の時なかったものを考えてみました。携帯電話、パスモ、カーナビ、自動で流れるトイレ数えればきりがありません。私より年齢が上がればその数はもっと増えます。

私たちはそれらがない時代を知っていますから、便利になったと感じ感謝することができるのですが、今生まれた方はそれが当たり前になっており便利とも思うことはなく、感謝もあろうはずはありません。

みなんさんは便利になったと同時に、その効用と副作用を考えた事はありますか。
効用は、楽になった、スピードが上がった等あります。
副作用は、工場等ではロボットが動き人が要らなくなり、一部の人だけに利益がでるシステムができました。
そして家庭ではそれら文明の利器がなければ何も出来ない人、子供が増えてきました。電子ジャーがなければ、ご飯を炊けない方、ほうきが使えない方、トイレを流すことを知らない子供、切符の買い方を知らない子供、缶切りを使えない子供、時刻表を読めない子供これも上げたらきりがありません。

これは怖いことです。人類は便利、快適を良としたが故に、退化しているきがします。

私たち親があえてアナログな生活をすることが、急務に思えてなりません。
私はすべてのことをアナログにできませんが、出来ることはと思い、自動で流れるトイレをやめ、パスモを持たない(自分が持っていて子供は我慢では信頼関係が崩れてしまいます。)等出来る中で自分が出来る技術を?伝授をと実践しております。

必ず子供たちに役に立つ日が来ると信じております。

昔は家であらゆるものを作っていたのです。
野菜等はもちろん、味噌、醤油、これもあげたらきりありませんが、私は残念ながらすでにその方法を知りません。
ですから自分が知っていることは伝えなくてはと思います。しかし自分が楽をしていては子供はついてきません。

自分と便利の戦いです。

みなさんも自分が知っていることはどうぞ子供たちに伝えて下さい。それが日本の未来を救うのです。

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2010年8月12日 (木)

自分の存在価値、私は何のために生きているの?

「自分の存在価値、私は何のために生きているの?」と
私は小学校の時から悩み苦しんでいました。

実行に移す勇気はありませんでしたが、死にたいと思ったことは数知れず。

その原因は今考えればたいしたことはないのです。勉強、テスト、宿題、いじめ等学生に共通する悩みなのです。しかしその当時はそれらのことが苦しく真剣でした。あれから30年という時が解決してくれたのです。
皆さんの今の苦しみも生きていれば必ず時が解決してくれる日がやってきます。

解決する手立ては諦めることです。例えば「あの時勉強しておけば良かった」と悔やみ続けていれば苦しみはずーっと続いていきますが、「あの時は勉強に興味を持てなかったからしょうがない。恥をかくのも人生。勉強が出来てそれを鼻にかけもっと性格が悪くなっていたと思えば出来なくてよかった」と思えれば苦しみから解放されるのです。きかたを否定しているからです。

そして一歩進めることができるなら今から勉強を始めるのです。決して遅くはありません。ところがそれを子供に「自分みたいになってもらいたくないから」と子供に押し付ける方がいますが、それでは自分の苦しみを解決するどころか、逆効果です。なぜなら自分の生

私は家内に出会い、子供たちを授かり、今があります。自分自身の人生の意味は、子孫をつないでいく事だったのだと言えます。その人生の中で苦しいこと、辛いことを経験させていただき、自分の魂を磨いているのです。

その貴重な体験が出来るこの世界に新しい命を誕生させ、彼らがその経験を通して徳を積むために、私は生きているのです。

決してお金儲けをして贅沢な暮らしをするために生まれてきたのではありません。入ってくるものを拒むことはありませんが、それを世の中の為に正しく使っていくことです。わたしは先人たちが守ってきた秋月院の法統を絶やすことなく次の世代に伝えるために皆さんから預かった浄財を使っていくことが使命です。

しかしそのために、自分さえ良ければ良いとむさぼってしまっては本末転倒でなのです。

贅沢はできなくても、日々家族が食べていければ幸せなのです。65年前の時代はそれすら叶わなかったのですから、今が幸せと思わなければ、過去の方に申し訳が立ちません。

お金持ちになった時、おごり、おぼれることなく正しく生きることが出来るかが、人生の最終試験なのかもしれません。

人はおぼれやすいものです。もうちょっと欲しいと思うぐらいが幸せなのです。

今の世は、お金を使っている人よりお金に使われている人のほうが多いと思います。スキーの経験がある方なら分かってもらえるのではと思うのですが、スキー(板)で滑っている人と、スキーに滑らされている人の違いです。

お金は使うもので、使われるものではありません。ないものを欲しがり無理をしてはいけません。ないのも貴重な人生経験です。必ずそこには学びがあります。ないことに意味があるのです。

暑い日が続きますがご自愛下さい。

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