心と体

2014年8月28日 (木)

悩み苦しみからの解放

アクシデントや災難に見舞われた時、ついつい「もしこうしてたら」とか「しなければよかった」と思ってしまいます。

その思いが強ければ強い程苦しみから抜け出ることができなくなってしまいます。

「もしも」という思いは現実逃避でしかありません。

「もしも」はないのです。選択等に後悔しても過去は変わらないのです。

「もしも」という言葉は人生の足踏み状態です。

その思いから抜け出て明るい未来に向かうためには「しょうがない」という思いを持つことを勧めます。

「起こったことはしょうがない」「してしまったことはしょうがない」の後には「だからこうしよう」と未来に続くのです。

「しょうがない。今度はこうしよう」は悩み苦しみからすでに、一歩踏み出し明るい未来に近づいているのです。

この言葉は亡くなったおばあちゃんのお悔みに行ったときに「数か月前に息子さんを亡くされ辛い思いされましたね」という私たちの言葉に対して、亡きおばあちゃんが「病気だったからしょうがない」とやさしく言われました。
不思議な話に思う方もあると思いますが、慣れてくると不思議でもなんでもないのです。生きている人も亡くなった人も心は何も変わらないのです。もちろん信じる信じないは皆さんの自由です。

また違う方ですが、ご主人が大怪我をされた奥様が「したことはしょうがない」と言われたのです。

私は目からウロコ状態の魔法の言葉に感じました。

思えば子供のころ母に「もしも○○だったら」と話しかけると「もしもはない」とよく言われていた覚えがあります。その時は話がそれで終わってしまいつまんないと思っていました。楽しい未来を想像しての「もしも」は良いのかもしれません。しかし現実から離れてしまう危険性もありますから、ほどほどに。

その渦中の方にはなかなか言える言葉ではありませんが、自分自身が常日頃からその言葉を意識し、万が一の時に備え生活するのです。

今日一日無事に過ごせたことがとても幸せなことです。

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2014年6月23日 (月)

今の時代に感謝

先日家内が夜救急車にお世話になりました。

点滴、投薬で様態は安定し一安心しました。

もしこれが50年前であればただ右往左往し苦しむ家内を見守ることしかできなかったはずです。辛いことです。

日本の救急車は昭和6年に初めて大阪で導入されたそうですが、普及したのは昭和39年の東京オリンピック以降のようです。

そう思うと現在は、救急車があり、救急病院があり、良い薬が開発され、ありがたい限りです。

しかしながら世の中は完璧ではなく不平不満なことがたくさんありますが、まずはありがたい世の中に生かさせていただいていることに先祖をはじめ不遇、苦労の人生を歩み最後を迎えた方に感謝し過ごしていきたいものです。

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2014年1月18日 (土)

自信をもつ方法

自分に自信を持つことができると人生は大きく変わります。しかし若いころは「自分には何にもいいところ、とりえもない」と自信を持つことができない方も多いことと思います。それにより人をうらやみどんどんマイナスに陥ってしまい、最後には自分を悲劇のヒロインにしてしまいます。そうなるとそこから抜け出ることは難しくなります。

自分に自信を持つことは思考を変えるだけで簡単にできます。

①皆さんにも必ず人様に良いなと思われる可能性のものが必ずあります。まずそれを見つけることができるかです。「私にはない」と思われている方は見つけられてない(気づけていない)だけなのです。まずそれに気が付かなくてはなりません。

若いころ友人に「アマチュア無線の免許を持っていていいな」と言われた覚えがあります。私にすれば「簡単なんだから試験受ければいいのに」と思ったのですが、ない方から見ればあるということがうらやましく思い。逆に持っている方から見れば持っていることが当たり前になっているのです。

ピアノを弾ける方にしてみれば深く考えることはないでしょうが、弾けない方から見ればうらやましく思うのです。

②自身のあるふりをする。現状の自分自身に対してどのように考えたら自信を持てるかを考える

私の通った大学は総合大学でしたが、その中の仏教系の学科でした。人に出会ったとき、自己紹介で大学名まではいいのですが、学科を言うのを恥ずかしく思っていました。しかしこの学科という現実は変えられないしどうすればいいのかと考え、ある日から堂々と自分の学科を言っていました。そして「どうしてもその学科に興味があった」というようなことを付け加えていました。しかし心の中まではすぐに変わっていませんでしたが、人には心の中を気づかれないようにふるまっていました。

①②の努力をすることにより年を重ねるごとに自分なりに自信を持てるようになってきた気がします。ただうぬぼれないように注意が必要です。

106歳で亡くなられた宮崎禅師さまが「学ぶということは まねをするというところから出ておる

1日まねをしたら 1日のまねや

それで済んでしまったら

2日まねして それでまねせなんだら

それは2日のまね

      ところが一生まねしておったら まねがほんまもんや」と言われました。

自信を持っている人のまねをすることから始めるのです。

お正月に録画した「モテキ」という映画をやっと見ることができました。イケメンが主役ではありません。女性に縁のなかった男性が主役なのです。

あなたの人生はあなたが主役の映画です。今がどんな状況であっても今の役を尻込みすることなく演じ切りましょう。そうすれば次は違う役(立場)になることができます。

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2012年2月 9日 (木)

幸せになるには他人をうらやましがらない

久しぶりにブログを更新できます。この数か月驚きから始まり、大変でしたが、幸せな夢を見させて頂きました。いずれまた書ける日が来ると思います。

物質的な幸せの価値観は人それぞれですが、真の幸せは共通です。真の幸せとは「心の安定」です。
ところが心の安定である真の幸せを求めず、心の不安定を求めて暮らしてしまっているのが、人間社会です。

いくらお金や、地位があっても苦しみはあります。もしお金や名声で幸せになれるのであれば、人気絶頂で、自ら命を絶ってしまう芸能人はいないはずです。またどんな人でも、病気にもなり、事故にもあいます。平等に老人になり、この世とのお別れがきます。それらをお金や、地位、名声は助けてはくれません。

私は命を含めて思い通りに行くことはないと思うと、心の安定である真の幸せを求めたいと思います。

それにはまず今の幸せに気が付くことです。そして無いものを欲しがらない。みなさんはこの人生で今必要なものはすべて手に入れているのです。無いということは、少なくとも今は必要がないものなのです。もしくは無いことに意味があり、それが人生のキーワードなのかもしれません。

他人をうらやましがること程、不幸なことはありません。自分の真の幸せな人生とは関係のない他人の人生です。6年生の子が1年生の「算数は簡単でうらやまし」と言っていると同じです。6年生は6年生で学ぶべきことがあるのです。他をうらやましがるのは、時間も含めすべてが無駄です。
その時間、エネルギーを人の幸せの為に生かすことができれば、自身の真の幸せにも近づきます。6年生を例にとれば、算数のわからない1年生に勉強を教えてあげることにより、1年生は算数が解るようになり、感謝するでしょう。また感謝しなくても6年生の善行は必ず巡り巡って自分の幸せになって返ってきます。それが人生の真理です。(縁です)

それ故に仏教では布施(布施行)を勧めるのです。私たちの暮らしの中で、それを(他の為の善行)しなくなったが故にうまくいかなくなっている側面があります。

私が若いころかっこいい車をつい「すごいな~」と見てしまいましたが、ある日から見ないと決めました。「借金だらけで気の毒」と思うようにしました。はじめはつい車が気になり大変ですが、慣れると心は穏やかです。

将来を考えると不安なことは正直たくさんありますが、今それを不安に思ってもどうしょうもありません。今できることは、その将来を迎えたときに今の自分を「よくやった」とほめることができるかを考え、今を生き、行動することです。

その日まで楽しく豊かに暮らせればいいやと思う方もあると思います。それも一つの生き方ですから否定はしません。

しかし秋月院に縁のあった方には「真の幸せ」になって頂きたいと祈念しています。秋月院の御本尊様は皆さんを見守っていてくださいます。どうぞお参りください。

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2011年11月10日 (木)

幸せな老後を迎えるには

私の知っている方で、親、義理の親の世話をする事はもちろんですが、旦那の兄弟の、世話をしている方があります。「見捨てたら人として・・・」と言っていました。

その親を大切にするということは、その親祖父母の供養にもなります。また兄弟を大切にするということは、その親の供養、また孝行になります。

親切にされたら親切にしてあげたいと思うものです。亡き方も同じです。それが今を生きる私たちの幸せにつながっています。

その親の姿を見て育った娘は、「旦那の兄弟に何かあれば私が何とかしなくては」と言っています。そうしないと自分が死んだときに、親に「あんたは何やってきたの!」と言われるからとも言っておりました。

その逆で子供の教育費がかかるから等理由(言い訳)をつけて親を見捨てれば、自分の子供はそれを見て育つわけです。

必ず自分にしたことは自分に返ってきます。今からでも遅くはありません。

もう過去には戻れないところまで来ている方は、今自分ができる善行(他人のために)を行うことです。
散歩で、空き缶、ごみ、吸い殻を拾う。トイレのスリッパを自分以外のもそろえる。身近にできることはまだまだたくさんあります。それに気が付くことが大切です。

「自分我」をまず捨てることです。そこから新しい人生が始まります。

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2011年10月13日 (木)

一緒のお墓に入りたくない

「姑、夫等と一緒のお墓に入りたくない」ということを耳にします。

それほど辛いことがあり、それでも今日まで何とか頑張ってこられたことに感心いたします。だから一緒のお墓には入りたくないという気持ちも理解できます。

しかし、もう苦労をさせられた人はこの世の方でない場合にもなっていても、まだ一緒のお墓に入りたくないと思われているのであれば気の毒なことです。

苦労の時から時間が立っているのに、気持ちだけがそのままということは、今の幸せに気づけないでいることになります。

今が幸せと気づくことができますと、過去の事は「そんなこともあったな」と流すことができるようになります。
過去にとらわれることなく幸せになるには、コツが必要です。まずは過去の恨みとか妬みを「そんなこともあったな、よくがんばったな」と思うようにし、人に話す時も恨み、妬みの感情を込めることなく話伝え、できれば感謝の気持ちの言葉を言えるように努力をすることです。
はじめは違和感がありますが、なれるとこれからの人生に大いに役に立ちます。

さてお墓という現実の話としては、「一緒のお墓に入りたくない」と言われると、残された人には負担が残ります。二つのお墓の管理等経済的な負担、そして二つのお墓をお参りという時間的な負担です。
子供はいちばん近い人ですから、気持ちを理解してくれるかもしれませんが、事情を知らない、孫、ひ孫の代になればもっと負担を感じるはずです。「勝手な人がいたんだな」と陰口を言われお参りもされず忘れ去られるかもしれませんし、別のお墓を建てることを見習い、子孫もそうしてしまい、またその子孫に負担をかけてしまうこともあるでしょう。

あなたの昔の苦労を「あんなこともあったね」と笑って話せる日が来ることを祈念しております。

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2011年8月24日 (水)

贅沢

人は自分には高嶺の花の贅沢に憧れ、人と比べうらやましがり(うらやましいとは恨めしいという意味ですから、気をつけなくてはなりません。)気が付かないうちに苦しみとなっています。

人と比べる必要は何もありません。自分の幸せに気づき自分の贅沢を楽しむことです。

以前のブログでも書いたかと思いますが、私は家族で一泊の温泉旅行も、ディズニーランドも行ったことがない暮らしをしております。(苦しみにならない程度に夢を抱いておりますが、かなう日が来るのかは?です。)

先日大量のマス(魚)を頂きました。ガスコンロで焼けば楽なのですが、わざわざ倉庫から七輪を引っ張り出してきて子供と団扇を片手に七輪で焼きました。そのかいあってガスコンロで焼いたのとは、不思議と何かが違いとてもおいしく感じました。子供と魚を焼くという一緒の時間を過ごせたこと、七輪でおいしく魚を焼き、頂けたことをとても贅沢に思っております。

また以前お世話になった方に夏の挨拶に行きましたら、大量にジャガイモ、かぼちゃを頂きました。そのジャガイモを切り油で揚げて子供たちが大好きなたくさんのフライドポテトができました。
かぼちゃもカボチャスープになりました。
家内にとっては手間なことと思いますが、子供たちはおいしそうに口に運んでいました。
買ってきたわずかなジャガイモ、かぼちゃではそのような使い方はしない家庭ですので、すごく贅沢なことと私は思っています。

お金をつかうことだけが贅沢ではありません。皆さんも自分にできる贅沢を楽しんでください

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2011年8月10日 (水)

人は互いに支えあう事が幸せの人生

先日一か月ぶりぐらいにブログの更新をしましたら、

電話がかかってきまして家内がとったのですが、更新してくれたんですね、楽しみにしています。」というような内容だったそうです。

ありがたいことです。

最近このブログを更新することが、人々の為になっているのだろうか?自分の一人よがりのもので意味があるのか?
と疑問だらけの日々でした。

その日々の中、頂いたお電話に感謝しております。

私は以前のブログにも書きましたが、睡眠障害、鬱で長いことすっきりできずに苦しんでいました。自分で鬱に入っているなとはわかるもののどうすることもできないのです。朝起きるのが辛く、布団の上げ下げすら苦痛でした。どれだけ寝ても寝たりないのです。ただ幸いなのは病気とは思わなかったことで、薬に頼ることがなく済みました。

いつか必ず時が解決してくれます。

辛い時は毎日でも先祖のお墓詣り、近くのお寺、神社へお参りをすることです。
そしてお願いではなく日々過ごせることを感謝し、手を合わせるのです。

そして地域の奉仕作業、神社やお寺の奉仕作業に参加すること、また散歩ついでに空き缶等のゴミ拾い等人々の為に体を使うことです。

何をしていてもつまらないく、億劫になりがちですが、ぼーと一日を過ごしてしまうと、余計に空しくなります。一日一つでも間接的でかまいませんので他人(自分以外の方の事)の為に動くことです。

出歩くときは、辛い気持ちを心の奥にしまう努力をすることです。「辛い」「死んだら楽になる(※死んでも楽になりません)」という思いを家の外で思ってはなりません。特に駅のホーム、踏切、よく事故が起こるところ等を通るときは気を引き締めることがとても大切です。そこで亡くなった同じ思いを持っていた方と波長が合ってしまうと連れて行かれてしまいます。連れていかれても楽にはならないので、波長の合う仲間をそこで何十年、何百年も待ち続けることになってしまいます。ですから同じところで事故が起こるのも原因のひとつです。

辛いですが厳しいことを言う方から逃げないことです。正しく神仏を大切に感謝して過ごすことができれば必ず道が開けます。

人生とは死ぬまで悩みがあるものです。一つ解決すればまた新たな悩みがでます。それが生きていくということであり、そこに人生の価値があるのです。

このブログに縁のある方、秋月院に縁のある方が、日々をニコニコと過ごせる日が来ることをご祈念申し上げております。

暑い日が続きますが、ご自愛ください。

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2011年7月31日 (日)

人生の苦楽

不幸という事柄が起こると「なぜ?」「何か悪いことをした?」「なんでこんな思いをしなくてはいけないの?」等の気持ちが起こり、その根底には「今が当たり前」という基準があります。

しかし、人生数秒の事で大きく変わることもありますし、病気、老い、事故、災害、死等努力だけではどうすることもできない現実もあります。それに気が付かなくてはなりません。

お釈迦様は「一切皆苦」と仰せられました。
私たちの人生とは「苦」が当たり前で、たまにその中で幸せを感じ、命をつないでいるのです。

そのことを理解できると、できないとでは人生は大きく変わります。

例えば事故は、一瞬で大きな差がでます。
もし
車を運転していて、子供の飛び出しに遭遇した時は、まず回避できたことに感謝することです。数秒違えばどうなっていたでしょう?
そしてそれをきっかけに、さらに人を思いやる
慎重な運転を心がけることです。
またお子さんをおもちでしたら、その出来事を話し、今の幸せ、安全、事故、そして被害者、加害者の気持ちになり、話し合い考えあうことです。

ニュースで知った出来事も同じようにします。

くれぐれも「危ないじゃないか!ばかやろう」と発するのはもちろんですが、そのような気持ちを持たないことです。いつか言われる日が来るでしょうし、言われるだけでは済まないことになります。(自分自身もしくは家族等にかえってきます)

ばかばかしいと思い信じられない方もあるかもしれませんが、私たちの現実に起こることはその人の心を反映させてしまっていることが多いです。良い心、悪い心に比例する目に見えない力が働いています。(潜在意識ではつながっています。)

それを人々は、「運」とよんでいるのかもしれません。

まずは今に感謝し、その感謝の思いを実行に移すことです。

どうぞ秋月院にお参りください。

皆様の幸せをご祈念申し上げます。

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2011年6月 2日 (木)

楽に今を生きる

「お坊さんは(お寺さんは)安定していて良いですね」というようなことを言われたことがあります。

また思っている方もあると思いますが、実は安定していないお寺、僧侶も多いのです。

歴史的には、江戸幕府の庇護を受けていた時代から、明治政府になり神仏分離となり、廃仏毀釈でかなりのお寺が廃寺になりました。

田畑をたくさん持っていた寺院は戦後の農地解放(参考http://homepage3.nifty.com/yoshihito/nouchi.htm)により、収入を失い貧乏のどん底になり、廃寺になる寺院もありました。

そんな中、吸収合併し存続をした寺院もありました。

その時代の僧侶は想像を絶するつらい日々だったことが想像できます。

どの業界も良い時もあれば、辛い時もあるのです。良い時の人は感謝して過ごし、他に施しを行います。

悪い時の人は、他をうらやむことなく今できることを真面目にこなしていくことにより、必ず道が開けていきます。

東日本大震災により苦労を強いられる方もあれば、それにより儲かる方がいるのも現実です。今儲かっている方もいずれその逆の立場になる日が来る可能性があるのです。

ちなみに私は、小学生のころから師匠について、通夜、葬儀、法事等に出仕していおりました。お坊さんの恰好が恥ずかしかったり、からかわれたり、いじめられたり、土日は法事で友達と約束があっても遊べなかったりと、正直つらい日々でした。

中学の卒業前に、親元を離れ、修行にでました。一年間家に帰ることも、原則外出することもできませんでした。

「人のために生きたい」「宗教、仏教とは何ぞや」「人は死んだらどうなるのか」「なんで供養は必要なのか」「人は何のために生まれ、生きるのか」「なんで寺に生まれたのか」等悩んだ日々がありました。

学校、修行ではその答えは見つかりませんでした。

二男である私は就職したのですが、人生についての悩み苦しみは常にありました。
サラリマン生活で学ぶことも多く、またその生活を楽しんでいましたが、その一方で「このままでよいのか?」と常に考えていました。

時代はバブル崩壊後で、日本では終身雇用、年功序列が崩壊するといわれ始めたころでした。僧侶になって不安定になっても、サラリーマンでも安定ではない時代がくると考えるとどちらも同じだと思い、寺に生まれた意味、今やるべきことを見つけるために、会社を退職しました。しかし二男で継ぐ寺がない私は不安定を覚悟しての事でした。

とにかく人生を、自分を見つめなおしたい思いでした。

収入がなく、不安定そのものの時もありましたが、縁により無料で家を貸してもらったりと、ありがたいことも多々ありました。とにかく人との付き合いを大切にして、貧乏でも人との付き合いのためにはケチらないこと、惜しまないことを心がけておりました。それから10数年、紆余曲折の人生でしたが、縁あって秋月院の住職に就任しました。

しかし、そこからがまた苦労の始まりで、現在に至っております。

悩み、苦労が尽きる日が来たら死ぬときかなと思っております。

人と比べると辛いだけです。いくらうらやましく思っても自分は他人にはなれませんし、環境を交換することはできません。

他人と比べる、うらやましがるとは、6年生の子が算数の授業を受けながら、「1年生の国語は簡単でいいな」と言っているのと同じです。
6年生は今算数を学ぶ時なのです。1年生の国語を学んでも意味がありません。

今生きていることに感謝して過ごしたいものです。

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