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2020年9月

2020年9月27日 (日)

修行生活


弟子が大学を卒業し、修行に出て1年半が過ぎました。今PM12時に寝てAM3時に起きる生活をしております。
我が宗派の修行は今風にわかりやすく言うとブラック企業です。24時間拘束、休み無し、給料無し、粗食、パワハラ、ですが、学ぶことはたくさんあります。耐えるも答えの一つです。「くだらない、馬鹿馬鹿しい」と言うのは簡単ですが、厳しい中で意味を見つけようとすることが人生という修行なのです。嫌ならその修行を辞めれば良いのです。親の期待が辞めるという選択肢をなくしています。死ぬ必要はありません。
さて心配なのは、新卒で就職もせず、何年もブランクがある彼が就職できるか?

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2020年9月17日 (木)

天命

私たち個人、個人の寿命はあらかじめ決まっています。それは産まれる前に自分で計画した事です。生まれる前に決めたことですから、天から授かった命と表現しています。(実際は自分で決めていますが)昔の方は分かっていたのですね。ですからお位牌や、お墓に享年と彫ります。

因みに行年とは修行した年数です。年齢の数字は享年、行年どちらも同じです。ただ満年齢か数え(戦前の年齢の勘定の仕方)の違いはあります。たまに満年齢が享年で、数えが行年という方がいますがそれは違います。

この寿命は、他の人(家族も含みます)の人生との兼ね合いの中で決めます。

例えば、今回の人生は子供を早く亡くすことで、経験し学ぶ必要があると自分で判断し、子供と打ち合わせし、お互い生まれてきます。

また、今回の人生は、親を早く亡くす事で、経験し学ぶ必要があると子供が決め、親と打ち合わせをして生まれてきます。何故なら親がいると頼りにして甘えてしまうのが子供です。それでは今回の人生の目的を達成出来ないというのが理由です。

ただ何歳とドンピシャではなく5年ほど前後があります。

考えてみれば、亡くなられた方の亡くなる数年前の出来事を思い出すとその時に亡くなっていてもおかしくないような出来事だったと気がつきました。

 皆さん信じる事はできますか?この見える現実の世界が全てと思っているとなかなか信じる事が出来ないのが現実だと思います。とりあえずはそれでいいのです。

 なぜならまず大切なのは人生の道具としてこの情報を生かせれば良いのです。それが出来れば、泥沼の苦しみからぬけでることが早くなります。

 自分、また家族等の死は避けられないことです。必ずその日は来ます。その時が来たらその現実は変えられません。悲しく寂しい上に、「何でこんなことに」「○○の責任だ」「○○しなければよかった」「○○すればよかったのか?」等堂々めぐりしてしまいます。

そこで「天命がある、寿命は決まっている、決して不幸なことではない」と思う努力をすることです。

 この話を聞いてうんうんとうなずける肯定派と「あり得ない」と否定派の方がいると思います。私的にはどちらでも良いと思っています。肯定派の方はより一層探究して下さい。より一層幸せな人生になります。否定の方はまだ学ぶべき時がまだ来ていないだけです。ただ一つ覚えていると良いことは素直な心と冷静な心です。否定からは幸福は生まれません。

 例えば辛いことが起こったときに気遣って声を掛けてくれる方がいますが、その気遣い声を掛けてくれた方を攻撃する方がいます。例「私にはあなたの気持ちなんかわかんないわよ」そうすると苦しみが一層深くなってしまいます。「平常心是道」(へいじょうしんこれどう)平常心があれば素直になれます。

この平常心を保つことが人生ではなかなか難しいのですけど。

 さて寿命を5年縮めると、延ばす方法ですが、ご興味がある方がいれば、また記します。

葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓,自然葬墓がある川崎市の秋月院へお参りください。 https://www.syuugetuin.com/

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2020年9月14日 (月)

無宗教だからお坊さんのいないお葬式

テレビCM「無宗教なんだから…」

 “お坊さんのいないお葬式”

その通りです。無宗教なのですから、当然のことです。

ただ本当に無宗教なのか?

赤ちゃんが生まれたらお宮参り行きませんか?

七五三でお宮やお寺に行きませんか?

合格祈願のお守りや安産のお守り、交通安全のお守り持っていませんか?

厄年には、ご祈祷やお祓いに行きませんか?

神社仏閣へ初詣行きませんか?

結婚式を教会で行いませんか?

上記を一つでも行っていれば、無宗教ではありません。

本人が自覚しようがしまいが、客観的に見て宗教行事を行っているのです。

日本人は無宗教なのでは無く、さまざまな宗教を受容出来る素晴らしい民族なのです。

だから今現在、宗教戦争が起こっていないのです。 

葬儀を依頼した葬儀屋さんから「よろしければ、弊社と業務提携(ていけい)しているお寺があります。そこは、お願いすれば、浄土真宗に限らず、日蓮宗でも、真言宗でも、禅宗でも、どんな宗派にも通用する戒名(かいみょう)をつけてくれますし、俗名(ぞくみょう)のまま葬儀を行なってもくれます。ご予算によっては、直葬(直接、火葬場でお経を唱えるだけ)コースもお願いできますよ」と宗教を商売の道具にしている葬儀屋さんがいると聞きます。こんなあり得ないことが堂々と言えることが問題なのです。

それに対して、そのようにいい加減な葬儀屋さんに「頼みません」と言うことが出来ないことも問題です。

それが故に「無宗教だからお坊さんの居ないお葬式」というCMになったのだと思います。

生前に信頼が出来るお寺と出会っていないこと、菩提寺を持たずにいるが故に、供養を商売の一つと勘違いしてしまい葬儀屋さんに言われるままの、供養とはかけ離れた行動につながっています。

みなさんが、葬儀の大切さ、戒名の大切さを教えてくれるお寺に出会得ることを祈っています。

「先のことを考えて、お墓用意しなくては、葬儀屋さんも考えなくては、互助会にでも入ろうか、」とは考えるのに一番供養で大切なお寺選びが抜け落ちでいるのです。

それは石材店さんや葬儀屋さんは経費を掛けて広告等の営業活動をして石屋さんと葬儀屋さんの必要性が浸透しました。しかしお寺は待っているだけですから、お寺の必要性が皆さんに意識されなくなったのです。

秋月院も待っているぐらいの力しかありませんが、何でも相談できる寺でいることが、少しずつ、ゆっくりですが、山門繁栄につながると信じています。応援をお願い致します。

葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓,自然葬墓がある川崎市の秋月院へお参りください。 http://www.syuugetuin.com/

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2020年9月 8日 (火)

幸せに生きる極意

私たちは必ず死にます。寂しいことではありますが、不幸なことではありません。それが今日なのか明日なのか1年後なのか10年後なのかまたはそれ以降なのかという時が、わからないだけです。間違いなく一日一日、一年一年その日に向かって生きているのです。寿命が延びている人は一人もいません。それを真剣に考え受け止めると当たり前の一日が幸せになります。それが曹洞宗僧侶の良寛さんの言葉「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是れはこれ災難をのがるる妙法にて候」です。

 

人生には事故、病気、老い、また社会的、家庭内に於いて様々な試練があるでしょう。私はそれをXデーと呼んでいます。それが理解できるとそのXデーが来た時には多少は慌てたり、悲しんだり悩んだりするとは思いますが、「いよいよそのXデーが来た。これがXデーだったのか」と立ち直りが早くなります。来るべくしてきているのですから。何故ならそのXデーはこの人生で経験しなければならないことが起こっただけなのです。決して不幸なことではないのです。不幸にしてしまうのは自分自身の思いと行動です。

そう考えると、朝目が開いた日、おいしくご飯が頂けた一日、家族が「ただいま」と無事に帰ってきた一日等、何にも起きなかった一日、「何にもなかったなー」と言える一日がとても幸せで、またありがたい一日と感謝できます。そして神仏、ご先祖様に供養というお返しをするのです。

 

 日々の暮らしの中でXデーの大難を小難にする努力をするのです。

例えば、社会のルールを守る、外に出たら、交通ルールを守る、我を通さず人とのトラブルを避けようとする、物を大切にする。神仏、ご先祖様に感謝し供養をする。

泥棒を繰り返せば必ず、逮捕される日が来ます。信号無視をすれば、いつか衝突事故を起こします。進入禁止を無視すれば人と接触する日がきます。横断歩道を渡らないでいればいつか車とぶつかる日がきます。今日まで無事だったのは、今日がその日ではなかっただけなのです。必ずそのXデーに向かっています。そのように考えられるようになりますと、例えば四つ角で事故にならなかったときに「四つ角で自転車や歩行者が来ないで良かった。仏様、神様、ご先祖様がそうしてくれたのだ。ありがたい」と感謝の日々に変わります。それが幸せなのです。

 

また逆にそのような生き方をしていても災難が起こった場合はその災難はどうすることもできないことだと諦めるという考え方ができます。つまり「秋月院の住職が言うようにあんなに努力したのに」と思ってしまうとその災難を乗り越えることができない。もしくは時間がかかってしまいます。起こったことは変えることはできません。正しく生きても起こる災難はそれを通して気づかなくてはならないこと、学ばなくてはならないことが起こっただけと考える努力をすることです。「なんで」「自分だけが」「○○のせいで」と考えてしまいがちですが、そうすると負のループから抜け出られなくなってしまいます。

その結果「あの時から人生が変わってしまった」と言う人生になってしまいます。

 

みなさん「あの時のあれがあったから今がある」と言う人生を送りたくありませんか?

人生は敗者復活戦があります。今がどん底と思う方も、真に正しい生き方が出来れば「あの時のあれがあったから今がある」と言える人生に変えることが可能です。まずやるべきことは他にやさしく、素直になることです。そして他の人が喜ぶことをする。

わたしは皆さんの幸せを願っています。

 

葬儀と直葬、法事、水子供養を行い、墓地、永代供養墓,自然葬墓がある川崎市の秋月院へお参りください。 http://www.syuugetuin.com/

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