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2013年8月27日 (火)

死とは

人は死にません。

「死」=「無」ととらえている方も多いと思います。

しかしその一方では霊、魂、幽霊等の言葉が万国で使われています。

この矛盾を避けてはなりません。

その矛盾に正面から当たっていけば必ず、納得できる日が来ます。

私がそうでした。

まず大切なことは真理としての正しい人生を歩むことです。

正しく生きることができていない方は死=無でなくては困りますから、(昔風にいいますと地獄に落ちる)ですから死=無で良いと思います。(私の考えを強制するものではありません。といっても現実に強制はできませんし皆さんの自由です)

死=有であったらよいと思う方へのメッセージです。

死とは「体が意識を失うのではなく、意識が体を失うことです」

その意識を昔の方は霊、魂、幽霊等と表現したのです。

だからこそ私たちは感謝の心を持ち、亡き方の気持ちになり供養することは大切なのです。亡き方に私たちの思いは通じています。

ホットケ様では悲しみますよ。

信じる人、信じられない人それぞれだと思いますが、いずれ最後の日がきます。その時は驚きますよ。後悔の無いように。

そのためにも今できることをしなくてはなりません。

来月はお彼岸です。お寺に足を運びご先祖様に感謝、お寺のご本尊様に感謝の心で喜捨をしてお参りし正しい信仰を持ちましょう。

人が死んで終わりではないことを別の角度からもう一言、正しく正直に生きても、思い通りにいかない辛い時(人生)それは不幸なことではありません。あの世から見たらすべて順調です。大切なのは正しく生きることを貫き通す努力、勇気です。人生の最後の時にその答えがわかります。

また正しく生きることができなかった方は、最後の日にその人生を悔やみ恥じる日が来ます。

葬儀、法事、供養、墓地とお墓の相談は川崎市の秋月院へ http://www.syuugetuin.com/

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供養とは」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。
ブログの記事を順に読ませて頂いております。
私は正しく生きる(応対する)ことができませんでした。そうしているうちにある朝、大切な人が急逝してしまいました。
後悔と罪悪感とが交錯して、意識のすべてが悲しみの日々です。
今更、悲しむ権利もないのだと言われているような日々です。

投稿: ハッチ | 2020年6月 8日 (月) 10時37分

ハッチ様

ブログにお尋ね頂きありがとうございます。
私たちの人生には敗者復活戦があります。これでは「いけない」と思った瞬間から復活戦が始まります。正しい行動を起こすことです。死ぬまでチャンスがあります。
大切な方の死が正しく生きるきっかけになったのであれば、「あなたのおかげ、ありがとう」と言える日が来ることを祈っています。
その日が向かれることができれば後悔と罪悪感はなくなります。

秋月院住職

投稿: | 2020年6月 8日 (月) 21時16分

お答え下さりありがとうございます。
私にはチャンスがあるのかもしれませんが、その人は尊い人生を私のエゴの犠牲になる形で終えてしまいました。
そんな立場の者にチャンスがあるだなんて、許されることなのでしょうか。「あなたのおかげ」と思える日が来たとして、その人を踏み台にした結果ですから「ありがとう」と思えるものなのか、今はとても抵抗感があるのです。

大切なその人の命を失ってからようやく気づくなんて愚かでした。

投稿: ハッチ | 2020年6月11日 (木) 16時41分

どうぞご来山ください。その時は山門をくぐり、そしてご本堂の前で静かに手を合わせてお参り下さい。住職

投稿: | 2020年6月11日 (木) 20時37分

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