2012年5月13日 (日)

子供たちを連れ、家族で先祖のお墓詣り

昨日先祖の墓参りに子供たちを連れ家族で出かけました。

一年に一回の我が家の行事です。

私の父の祖父にあたる方のお墓です。苗字は違いますが、その方がいなければ今私たちはいません。

父が子供のころ父親に連れて行かれたそうです。その頃は車はありませんから汽車と、バスを乗り継いで一泊二日かかったそうです。私も子供のころ父に連れて行かれました。その時は車で実家から車で一時間のところです。

川崎からは高速道路を使って3時間弱かかるところです。

子供の部活が終わるのを待って、1時半に出発しました。

例年ですと法事等が終わったお昼ぐらいには出発でき、お墓参りの帰りには掛川市にある花鳥園または日本平動物園によって少し遊んで帰ってきたのですが、今年は時間的に無理と考えていましたが、普段どこも遊びに連れていってあげていないことを思うと子供たちにとって唯一の楽しみでもあるはずと運転しながら気が付き急きょお墓参りの前に一時間ほど遊び、その後お墓に行きました。自分たちの遊びのなかにご先祖様のお墓参りまたは、その地の神社仏閣へのお参りを入れる事により、より良い人生を歩むため幸せな人生の道筋になります。

お墓の草刈りをして、お花を変え、お水をあげ、お線香をあげ手を合わせてきました。

いつもの事なのですが、お参りの時は何にも考えずに無心に手を合わせただけでした。帰り道、心の中で、「今年も無事に家族でお参りできました。ありがとうございました」と、念じました。

お墓参り、供養は何のためにするか、もちろん先祖に感謝の気持ちを改めて認識すること、そしていずれ先祖になる私たちですから、その時子孫に大事に思ってもらうため、つまり次の世代にリレーすることに意味があるのです。ですからお墓参りは子供や孫を連れて行かなくてはなりません。

この命をつないで頂いたように先祖とのつながり、感謝の思いもリレーしなくてはなりません。

家内の実家の墓所は鎌倉時代からある古い墓地で、無縁になったお墓がたくさんあります。このお墓の子孫がまだどこかで生きているのではと想像しています。本家は絶家になっていても次男等分家の子孫、または嫁に行った娘の子孫がいるのではと思います。

私の遠い先祖のお墓もそうなっているかもしれませんが、いまさら見つけることはできません。せめて今知っているお墓を次の世代につなげたいものです。

夜無事に帰宅できたことも、ご先祖様に感謝です。これが幸せというものです。

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2012年4月21日 (土)

うぐいすの墓地

秋月院は都会のきれいに整備されたお寺ではなく、田舎のお寺という感じです。

緑がたくさんあり、メジロ等の鳥をみかけます。

今日は鶯が「ホーホケッキョ」と鳴く中での墓経でした。

毎日うぐいすが鳴いているのですが、先日来られたお客さんが「鳥の声をCDで流してるんですか?」と言われたぐらい川崎では貴重になってきているのかもしれません。
そこで暮らしている人間には当たり前になっしまっていますが、改めて風情があるなかで過ごさせていただいていることに感謝です。

それでも私が秋月院に来てからずいぶん周りが宅地開発され山、緑が無くなってきました。どんどん鳥の住む森が無くなってきました。
秋月院では緑を残したいと思うのですが、世の中がそれを許さない時代になってきました。寂しい時代です。

どうぞ自然の鳥の鳴き声の風情を楽しみにお参りにお越しください。

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2012年4月18日 (水)

家族葬

最近、家族だけの寂しい葬儀が多くなりました。

時代の流れで仕方のないことと思いつとめております。

昔は炊き出しをして、会葬の方に食事をふるまったり、たま地方ではお金を撒く風習がありました。少しでも多くの方にお参りしてもらいたいという思いでの人寄せのためだったのでしょう。昔は食べれない時代だったのでご飯が食べれると思えばありがたく、みな会葬に行ったことでしょう。ご相伴にあずかれることを通して故人の冥福を祈ったのでしょう。

ところが飽食の時代の今日では、少なからず縁があるにもかかわらず(訃報を聞いたということは縁があるということです。まったく縁がなければ、耳に届くことはないでしょう)会葬に行くことの喜びの部分(飽食がゆえ食事が喜びではなくなった)が、なくなってしまい負担だけが残り、その結果故人の事を思う気持ちもなくなり、まさに義理だけになってしまった結果が、家族葬という選択になったのでしょう。

考えてみれば私も若いころ、自分の葬儀について「義理で来る人なんか来なくてもいい、自分のために泣いてくれる人が来てくれるだけでいい」と思っていたことを思い出しました。まさに今でいう家族葬なのかもしれません。

ただ注意しなくてはならないのは、会葬に来たいと思う方を締め出してはならないということです。故人とお別れをしたいと思うのは家族だけではないのです。来る来ないは別にして訃報の連絡はするべきだと思います。

人としてちゃんと付き合いをしたいと思っている方もたくさんいるのです。その方の善意を無にしては、故人の供養にはなりません。みなさん気を付けてください。

また現実に、そういう方は葬儀後に訃報を聞けば、必ずご自宅にお参りに来るでしょう。それもみな、ばらばらに来るわけですから、疲れているときにその対応も楽なものではないでしょう。

普通の葬儀をすれば、その時だけで済みます。

どうぞ心ある方を大事にしてください。それが、皆さんの幸せに必ず結びついてくるのです。それを怠るとますます殺伐とした。無縁化社会になってしまいます。

以前書いた家族葬

http://syuugetuin.way-nifty.com/blog/2010/12/post-8f1b.html

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2012年4月 3日 (火)

寺院の公益性

私は毎朝、ご本尊様をはじめ本堂内の仏様に、ご飯とお茶をお供えし朝のお経を唱えます。その内容には世界の平和、日本の平和、そして人々の幸せを念じ祈念しております。震災後は犠牲になられた方のご冥福を祈るとともに、復興が一日も早く成し遂げられるように念じております。

昔は(私の修行中)天皇家のために祈ることが行われておりましたが、昭和の終わりごろ曹洞宗の作法からなくなりました。

「他のために祈る」それがなんなの?(どんな意味、どんな効果があるの)と思われる方もあるかもしれませんが、皆さんが信じる信じないはどちでもかまいませんが、他のために祈るということは、私たちの未来に大きく影響を及ぼします。今日他のために祈るということが、無くなってきたが故に便利で楽な生活になったはずなのに幸せになりきれていないのです。昔はなかった家庭内の事件、社会の卑劣な犯罪が起こるようになったと私は考えています。
自分の事を心配してくれる友人、自分の無事を祈ってくれている親、をくだらないと思うようでしたら、危険信号です。

他のために損得抜きで何かをするそれが公益性の一つと思っております。

原爆が投下された日には梵鐘等を鳴らしてくださいという依頼が地方自治体からあります。

秋月院の境内では、リュックを背負った方が散策をしたり、近くの会社の社員の方がお昼のお弁当を食べていたりしております。

人々のためにお金儲け以外の事をすることが、公益法人の一つである宗教法人の務めと思っております。

お寺が利益(儲け)のためにお布施があると勘違いしている方も多いと思いますが、そうではありません。お布施をさしだす方の修行なのです。誰だって惜しいお金、執着を持っているお金をさしだすことが修行なのです。

そのお布施という浄財をどのように正しく使えるかが、今度はお坊さんの修行なのです。

そもそも経済というのもお金儲けではないのです。困ってる人のために自分ができることをして助けてあげる、そのお礼としてお金等をもらうなのです。

しかし今日では儲けるために何かをする。利益を出すにはどうしたらよいか?ばかりを考えそこに助けてあげる人の(お客)がいなくなっているのです。ですから儲けるためには無知なお客を騙す。ことにつながってきてしまっているのです。

つまり、人のためにして→対価という利益でなくはならないのに

     対価という利益→人に何かをするになってしまっている企業があります。

どっちも同じじゃないかと思う方もあるかもしれませんが、実は全然違うことなのです。

皆さんがそれに気が付ける日が来ると信じ祈っております。

そのことをすべての方が理解できるようになりますと、世はすべてにおいて平和になります。

わたしはそんな日が来ることをお祈りしております。

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2012年4月 2日 (月)

ヒガン桜開花

秋月院参道のヒガン桜が咲き始めました。淡いピンク色がとてもきれいです。

どうぞお参りにお越しください。

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2012年3月29日 (木)

坐禅中止のご案内

5月27日の坐禅は申し訳ありませんが、中止させていただきます。

高津区久地のお寺様の晋山式という、お祝い行事のため早朝よりお手伝いに出かけてしまいます。

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2012年3月17日 (土)

彼岸の入り

今日から彼岸の入りです。

いつものごとくご本尊様をはじめ各仏様に彼岸団子を作りお供えしました。

Photo

秋月院の住職になってから、実家でやっていたことを思い出しながら、行っております。

秋月院に来たころは子供も小さく、子供の相手をしながら、家内と団子粉で真っ白になりながら、作っていました。その間お客さんが来たり、電話が来たりと、大変だったことが思い出されます。

今年は子供たちがお団子を丸めてくれました。とてもありがたく、大変楽ちんになりました。子供のこの一年の成長を改めて感じました。

私が実家で見ていたことを今実行し、そしていつか子供たちが独立した時にはきっと、これを思い出しながら、お彼岸の供養をしてくれるでしょう。

供養とは昔の事を引き継いで守っていくことです。それが先祖の供養になり、また現代を生きる私たちの幸せがあります。それに気付けることを願っています。

どうぞお彼岸のお参りに出かけてください。

秋月院の墓地へ行くには、お彼岸の渋滞はないし、車を止めるところを探さなくてもいっぱい空いてます。これが寺院墓地の良いところの一つです。

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2012年3月 5日 (月)

物の供養

使わなくなった子供のグローブ、スポーツ用品、着なくなった服等の処分に困っている方も多いと思います。
それらを喜んで使ってくれる方に差し上げるのが一番良いと思いますが、喜んでいるかどうかが難しいところです。やはりそこは日ごろの付き合いが大切ではないでしょうか、それによりそういうものを本当に欲しがり、喜んでくれる人
かがわかるはずです。

我が家はそういうオーラが出ているのか、たくさんの方からいろいろ頂きます。
ありがたいことです。

さて喜んでもらってくれる方がいない場合は、感謝の念をおくりながら(感謝の気持ちで)半紙等に丁寧に包んで、通常のごみとは違うゴミ袋に入れて、ゴミの日にだすとよいでしょう。

もっと丁寧に感謝の気持ちを表したいという方はお寺さんにその旨をお話し供養を(読経)していただき、その後ご自身で先ほどお話したようになさるとよいでしょう。

物に対しても感謝の心を持つことはとても大切なことです。その心はちゃんと届いていますし、いずれ自分に幸として返ってきますよ。
物にも命、心があります。
「信じる者は救われる」ですよ。

皆さんが救われる人になれるように祈っております。

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2012年3月 2日 (金)

格安イコール就職難

格安航空会社(LCC)のピーチ・アビエーションが1日、運航を始めました。

安いのはありがたいが、素直に喜べない自分もいます。

人件費を抑えるために機械を導入して効率化をはかりコストダウンをして結果安く提供できるのでしょうが、はたしてそれで良いのでしょうか?

その裏には若い方の雇用の場が失われたという現実があります。私たちが有頂天に安いのが良いと求めていけば、いずれほかの会社も追随せざる負えなくなるでしょう。そうなれば人のリストラが行われます。

自分には関係のない会社、業界と思う方もあるかもしれませんが、あなたや、私たちの子供たち、孫たち子孫に必ず大きく関わってきます。

最近ではETCにより高速道路の料金所の係りの方がいらなくなりました。

また駅でも昔は改札所にはたくさんの駅員さんが一つ一つの改札に立っていて、切符を切ったり、集めたりしていたものです。それも機械化により改札のはじに一人になってしまいました。

バスも黒い鞄を持った切符売りの車掌さんがいたものです。

間違いなく雇用の場がなくなっているのです。その結果就職難、その裏で一部の方は莫大な利益を得ているのです。

それも私たちが感謝の気持ちを忘れ、何も考えずに安くて喜んでいる結果なのです。だれの責任でもありません、私たちの責任なのです。そのことに気が付かないことが大きな問題なのです。

偉そうなことを言う私もETCを利用し自動改札の駅も利用しています。安い商品と高い商品があったら安いのを買ってしまいます。だからとても苦しいのです。

しかし一人一人がその苦しさを持つことによって、未来は明るく変わると信じています。当たり前に慣れてしまう程怖いことはないと思っています。

世の中の人々が心豊かに穏やかに過ごせることを願い祈っています。

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2012年2月 9日 (木)

幸せになるには他人をうらやましがらない

久しぶりにブログを更新できます。この数か月驚きから始まり、大変でしたが、幸せな夢を見させて頂きました。いずれまた書ける日が来ると思います。

物質的な幸せの価値観は人それぞれですが、真の幸せは共通です。真の幸せとは「心の安定」です。
ところが心の安定である真の幸せを求めず、心の不安定を求めて暮らしてしまっているのが、人間社会です。

いくらお金や、地位があっても苦しみはあります。もしお金や名声で幸せになれるのであれば、人気絶頂で、自ら命を絶ってしまう芸能人はいないはずです。またどんな人でも、病気にもなり、事故にもあいます。平等に老人になり、この世とのお別れがきます。それらをお金や、地位、名声は助けてはくれません。

私は命を含めて思い通りに行くことはないと思うと、心の安定である真の幸せを求めたいと思います。

それにはまず今の幸せに気が付くことです。そして無いものを欲しがらない。みなさんはこの人生で今必要なものはすべて手に入れているのです。無いということは、少なくとも今は必要がないものなのです。もしくは無いことに意味があり、それが人生のキーワードなのかもしれません。

他人をうらやましがること程、不幸なことはありません。自分の真の幸せな人生とは関係のない他人の人生です。6年生の子が1年生の「算数は簡単でうらやまし」と言っていると同じです。6年生は6年生で学ぶべきことがあるのです。他をうらやましがるのは、時間も含めすべてが無駄です。
その時間、エネルギーを人の幸せの為に生かすことができれば、自身の真の幸せにも近づきます。
それを仏教では布施(布施行)といいます。現代社会ではそれをしなくなったが故にうまくいかないのでしょう。
私が若いころかっこいい車をつい「すごいな~」と見てしまいましたが、ある日から見ないと決めました。「借金だらけで気の毒」と思うようにしました。はじめはつい車が気になり大変ですが、慣れると心は穏やかです。

将来を考えると不安なことは正直たくさんありますが、今それを不安に思ってもどうしょうもありません。今できることは、その将来を迎えたときに今の自分を「よくやった」とほめることができるかを考え、今を生き、行動することです。

その日まで楽しく豊かに暮らせればいいやと思う方もあると思います。それも一つの生き方ですから否定はしません。

しかし秋月院に縁のあった方には「真の幸せ」になって頂きたいと祈念しています。秋月院の御本尊様は皆さんを見守っていてくださいます。どうぞお参りください。

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